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ベラルーシセミナー終わりました

3月の28日に、ベラルーシフォーラムが北海道でありました。

私達は設営のお手伝い、裏方でした。ボランティアでお手伝いいただいたみなさまに、この場をお借りしてお礼申し上げます。

いろいろなイベントをやってきた、当団体も、あの‥会場は‥。北海道庁の開拓当時使っていた赤レンガ庁舎。今は観光客のかたが見ることができます。そこの会議室を一日だけ借り切ってのイベントですので、前日の夕方設営、当日の夕方撤去。普通の会場ならなんのことはないんですが‥。昔の建物の階段の高さが、半端ない。
相当、膝を持ち上げないといけない急な階段で、息切れしてしまいます。

明治の人は今より背が低いわけですから男性主体といっても、足が短かったわけで(笑)彼らの健脚ぶりが想像できるとしても。パネルボードを運び入れることをあきらめて、ネットで探したダンボールパネルを入手してなんとか。(札幌でイベントで展示をするのに必要という団体は声をかけてくださいね)

ベラルーシ共和国の大使や領事のプレゼンテーションのために、なんでおまいらそんな手伝ってるの?と思われる方もいらっしゃると思います。ベラルーシと日本の友好や経済交流を広げるために、日本の各地に親善大使(日本人)がおかれて、さまざまなイベントを行っています。北海道は事務局が函館にあります。

函館市にはみなさんご存知の通り、初のロシア領事館が、置かれたところです。(江戸時代末期、開国の‥の時期)

それで、このゴシケヴィチさんの銅像。いや別に興味ないよって、かたもまあお付き合いください。

goshkebichi

この方がゴシケヴィチさんといって初代ロシア領事さんなんですが、実は「ベラルーシ人」だったという。ここが味噌で、この銅像をベラルーシがつくって、函館市に寄贈させていただいた(というふうに見えます:笑)。

なにせ、みんなどっと忘れてたんですが、前の前の前の前のベラルーシ大使が歴史学者さんで、「函館にゴシケヴィチさんの奥さんの墓があって掃除してくれてる日本人にお礼がいいたい」ってそんなところから、歴史がひもとかれてきたんです。当時、ロシア帝国のことは大黒屋光太夫や高田屋嘉兵衛さん、などから聞いて、防衛のためにもほっておけないことだぁ、と江戸幕府も少しずつ動き出し、歴史がつくられはじめたといってもいいのかもしれません。(実際はオホーツクあたりに夏は魚とりに来てたとおもうんですがね)

ゴシケヴィチさんは、函館に移り住んできた(当時の訳あり日本人が多いでしょう)日本人に医療を施してくれた人です。というわけで感謝の気持ち‥ですね。

函館市は正式な設置場所をお決めになったようですし、ハリストス正教会なども、観光にいらしたかたは、ちょっと当時のことを想像してみてくださいね。

まあ、そんなわけで、ああ私達の救援活動も、函館で病気を助けてもらったご恩返しが少しでもできたらいいのでしょうかねぇ。

本当は日本とロシアの交流の歴史‥なども展示しようと思っていたのですが、当日の展示の準備を考えてもそこまで、テーマ広げちゃだめでしょう??と自粛。

(しかし、ちょっと横道。

難破してロシアにたどりついた大黒屋さんが謁見したのがあの!エカテリーナ二世というのですからこれまたびっくりです。(池田理代子さんも「女帝エカテリーナ」描かれています)

引用 「大帝と称されたエカテリーナ二世」(ロシア・ビヨンドから)

貴族の天国、農民の地獄

エカテリーナの治世は「貴族の天国」と呼ばれている。貴族たちは軍務や租税の支払いを免除され、自らの工場を開設し、商いをする権利を得た。貴族は帝国の特権階級であり、素晴らしい教育を受けることができ、国の軍事、政治エリートを形成し、広大な領地で豪華な舞踏会を開いて余暇を過ごした。

一方、人口の大部分を占めていた農民はエカテリーナ2世時代、それまで残されていたわずかな自由すら失った。この時代、領主たちは農民を強制労働に送ることが許され、農民たちはそれに対して不満を口にすることも許されなかった。農奴たちに権利がない状態は1770年代の農民反乱へと繋がったが、その最大規模のものとなったのが、エメリヤン・プガチョフの乱(1773−1775)である。しかしそれらはすべて鎮圧された。」

というころで、今の日本も近づいていますね~。国民の4分の三の所得が芳しくないそうですから。

「え?じゃ、もしかして子どもは王族の子どもじゃないかもしれないの_?家臣の人の子どもかも?」と質問したら、とあるベラルーシ人が、笑って「いいんじゃないでしょうかね?家臣がロシア人なら~」

この答えには笑いましたね。島国日本と大陸ロシアのものの考え方。方や完璧主義、かたやおおらかというか。)

閑話休題

人間一人では生きていけないように、隣近所とは仲良くしないと、安心して住めないですよ。

さて、そんなわけで、道庁の職員さんも「間に合うのか‥」(鍵をもってらっしゃる)というあせりを感じつつ、なんとか、セッティングして当日を迎えることができました。

これはニコライ領事さんが、ベラルーシの観光やビジネスなどを紹介してるところです。
巨大なトラック(大型の武器を運んだりできるような‥汗)やトラクターの紹介も。

ベラルーシ製の抗がん剤と日本のメーカーが契約したとか。ベラルーシなど旧ソ連は副作用に厳しいので少しでも身体にダメージのすくない薬であったらいいですね。

ユーラシア協会からお借りしたロシアとベラルーシの民族衣装の展示もしました。

今までなかなかできませんでしたので。衣装の後ろにあるのがダンボールパネル・ボードです。

刺繍のことはよくわかりませんが、麻の布は弱いので、このように刺繍をほどこすことは布を強くする意味も寒さ対策もあったのかもしれません。

不思議なことに袖口に刺繍をするのは魔の侵入を防ぐという意味もあり、それは、北海道で活動するアイヌアートプロジェクトの結城さんから、アイヌの方々も同じ意味を込めていたというので、何が意味があるんだろうなぁと、関心しました。

本当は展示会は5月に1周間ぐらい予定していたのですが、今回のように急に1日になったので、ベラルーシからたくさん持ってこれずザンネンです。

じゃじゃーん。ベラルーシのお母さんたちからいただいた(子どもたちが保養のときに持ってきたお土産も、大使たちの話とは別に勝手に展示させてもらいました。)宝箱から琥珀のネックレスが顔を出していますね。

マトリョーシカは、日本の技術から‥とのことですが。

ロシア大使館からもご参加いただきました。

紹介しきれませんでしたが、オリンピックの競技であるバイアスロン教会のみなさまも、バイアスロン体験コーナーもありました。(ロシア・ベラルーシはこの競技人口が多く指導や交流も盛んです)

   

世界中を回る、国際文化交流劇団「曼珠沙華」ベラルーシには7回も公演に行っています。(4回は政府招待)。感動せずにはおれない。

短い時間でしたが、会場の人たちの心を一つにしてくださったように思います。

会場に来られた方はみな、今はみな笑顔でこのポーズですよね。撮影。

最後は、日露ベラの交流を願って。

あっという間に終わった一日でしたが、2週間ほどはもう緊張の連続です。

この時期にFBが止められてしまって、連絡ができない。メッセージで、やりとりできなくなって本当に、倍の時間がかかりました。そんなこといってもね~フェイスブックだってタダのソフトだし。(タダより高いものはない)

私達が運動を始めたときは、携帯もなくて、家電かFAX、あるいは直接会って打ち合わせ、でしたから、その時代のことを思えばわずか25年ほど前のこと。贅沢が当たり前になってます。

 

最後はベラルーシの子どもたちが保養のときに、日本の里親さんに持ってきた「刺繍」の布のお写真。

なんちゃってサモワールの下にひいてるのは、本当に、ビンテージもの、という枠に入るんだろうと思います。お母さんやおばあちゃんが刺繍した大切なものです。

下のバラの刺繍の写真は、ベラルーシのゴメリやウクライナのほうに特徴的ながらのようです。

バラの模様。

家の中が暗かったり(昔は窓が小さかったので)、味気ないですよね。日本だって古民家ってなんとなく暗いじゃないですか?こうやって、かわいい刺繍をして家を飾っていたんだろうな‥って思います。

子どもたちにそんな大切なものをもたせてくれたのは、見知らぬ外国へ送り出す不安が大きかったから。

「これでよしなに‥お母さんバージョン」

交流して何になるの?

なにか「めあて」が、私達にあるわけではないし、あってもいけない。

里子たちの生活が豊かであるように、ベラルーシという国が世界中の国から愛されることは平和になることですから、それが私達の願いです。里子たちの幸せのために‥ベラルーシ・アゲアゲ祭りのお手伝いでした。

独裁政権職が強かったベラルーシですが、このところは、少し空気が和らいでる感じもあります。

(特に子どもたちに対する教育・学費の問題などは、日本を20としたらベラルーシは80~100ではないでしょうか?なぜ、日本は10?日本は、大人が子どもを愛してないからです。格差を容認してるようでは、愛があるとは言えないですよ~)

もう今はチェルノブイリの子の保養はできないですが、本当に私達がそんなことをしていたのか‥と思うほど、遠い出来事のように思います。

福島原発事故が起こってからもう8年が経過してしまいました。

そんな昔のことだったんですね。

保養の最初のところは、疑心暗鬼でした。

騙されたり、嘘つかれたり、こちらが誤解したり‥。怒ったり、叱ったり‥。

そんなことがあるからこそ、仲良くなれたんじゃないんだろうか?

仲良くても「そのプログラムってあまり良くないって聞いてるよ」と言わないといけない緊張場面もまたある関係ですね。

日本に帰るために、大黒屋さんがロシア語習得して、エカテリーナ二世に謁見したというのですから‥

たいした人物でしたね。道を開いた人。(当時のロシアは大変だったと思う。)エカテリーナ二世ってたぶん、プーチンさん以上のど迫力の人だったと思います。

その人を説得できたんだから。彼女の心を感動させた。

感動ってなんでしょう?広告代理店がつくった感動は、海の泡のようなものですぐに消えてしまいます。

そのようなニセの感動で鼓舞されぬように。

子どもたちが持ってきたお土産が私達の心に、ベラルーシの母の思いが伝わるのも感動。

20年以上の心を捕まえられてる。

感動は、人種も国籍も年齢も超えると思います。

 

 

 

 

 

 

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コメント

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  • コメント (2)

    • 田中冽
    • 2019年 4月 17日

    なんだろう?

    よくわからないが、素敵だなあ。
    ほんと!!

      • nora
      • 2019年 4月 21日

      田中さん
      ありがとうございます(^o^)うれしいです。

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