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「おかあさんといっしょ」∑(゚ロ゚〃)

今日はちょっと雑談。ぐちゃぐちゃの話です。まあ、愚痴みたいなもんです。

何かがおかしい、けれど、なんだろう。

おかしくなっている最中は、たぶん、はっきり言えないのだと思います。

当団体も高齢化の準備に入る年齢にさしかかり、保養運動も前のような形ではできなくなってきています。

子どもたちのために‥と家を寄付してくださったかたがいらして、あちこちリフォームし、あとはお母さんたちが使っていってくれたらとシェルターをつくるような気持ちで準備しています。

1階はほぼ完成。2階はもう子どもたちにペンキでも塗ってもらおう‥というところで、資金もどうやらつきた感。

食器とか家具とかどうしようかな~と思っていたら、いらなくなったものがあるので見においでといってくださるかたがいらっしゃいました。

「ところで、どうしてフリーマーケットしなくなったの?」

と質問されて

「札幌市がゴミを有料化して、ゴミのようなものの寄付が多くなったから」と答えながら、大切な何かを忘れてるような気がしていました。

当時私達は、ガレージを改装して、リサイクルショップを持っていたのです。その収益をチェルノブイリの子どもたちの保養のためにあてていたのです。また、札幌市の公園でフリーマーケットも開催していました。

札幌市のゴミが有料化‥ということになったら、「寄贈」がゴミ捨てに変わりました。おじいさんのタンスに眠っていた着古した衣類が持ち込まれる。これはとてもじゃないけれど‥といって立場の弱いものが「寄贈」をお断りする、バツの悪さ。(本来立場が弱いわけじゃないですが)

じいちゃんが着古したモモヒキを、誰が値段つけて買っていくんだよ!という話をしないといけないのですが、相手にその話を受け止める力量がないとき、悪口は10倍100倍になって返ってきます。そのようなものを一箱ふた箱持ち込んで、いくらのゴミ袋代の節約になるでしょう?

ああでも、なにか大切なことを忘れてる‥。

先日、人生の3分の2は変えられる‥なんて、偉そうなことを書いてしまいましたが。

NHKが「皇室の祖先のアマテラス‥」って報道したことが問題になってることご存知ですか?

ええ?今、そういうレベルまで落ち込んだ?

宗教なんて、個人の思想信条の話を、全国民に流すんだ‥。お子様なディレクターやな。

前から、ニュースのレベルがおちて、子ども番組みたいになってきたなぁと思ってました。

西日本の豪雨の被害もまだわかってないようなときのニュースの時間を計測していたのですが、まだ安否のわからない方がいらっしゃるときでさえ、スポーツニュースを10分以上、そして、アナウンサーの女性は、とても楽しみ、結果が待ちきれないと言わんばかりの盛り上げぶりに、「これNHK?」とびっくりしたんですね。(すでに知ってるのに。品がない)

私が子どもの頃、はNHKのアナウンサーは、絶対かまない‥といわれていて。本当に、今で言うAIのようでした。それが今は、かみかみ、なんども原稿を読み直したり。

こういうのを完璧主義というのでしょうか?それとも、あちらの劣化でしょうか?

私は、国民からいただいたお金で半公務員やってるというプライドと礼儀があったように思います。

国民としてなにが重要か?といえば、豪雨災害の地域の人の安否や、その人達が、どのように救われるか‥ということなのに、相撲、サッカー、野球のニュースを毎日しっかり流していた。

それは、民法でも見れるし、興味のない人にとってどうでもいいことです。

つまり、公私の区別がついてないのです。

災害の話は、被害にあってる個人の話ではなく、国民全員の今日明日のはなしです。

当時、ブログで、紹介させていただいた、ドロが家の中に入ってきた場合の掃除の仕方‥というのがあるのですがそれはあるNPO団体の書籍で、SNSで回されていたものでした。しかし、それは勝手に流出されたものとの連絡をその団体の方からいただいて、削除させていただきました。

NHKがその救援団体の話を紹介したのは、その2~3日後です。それは暑い中、汚泥もまじった泥の書き出し作業をする人たちの命にもかかわる衛生の話でした。

その前に少し遡れば、豪雨が降り注いでる最中、SNSでは、「誰かが流されてる」「二階の窓から手が振られてる」助けが間に合わない!そんな映像が流されているとき、NHKはじめ民法も、元テロ組織なのか宗教団体なのかわからない組織の死刑の報道をお祭り騒ぎのように報道していました。それでもちゃんとスポーツニュースは流すのね。東日本大震災のときもまだご家族を探してる人がいる、東京では計画停電と騒いでるときに西日本からお笑い番組が流れてきた。

何かがおかしい‥。

公私の区別がついてない‥ってことが、思い出されたんです。

なぜ、私達がフリーマーケットをやめたのか。

それは、ある時点から起こってきた社会の変化‥が、日本社会の劣化をそこまで引き起こすと、気づいてなかったのです。

大げさな気付き‥と言っていただいてよろしいでしょう。私見。

スポーツは、個人的なことです。それがいつのまにか、国営‥???だったっけ?という状態にNHKが勘違いしてないでしょうか?難しい言葉で言えば、国威発揚化しています。

私が子どもの頃、もう50年前近くになりますが、「オリンピックは参加することに意義がある」と言ってた時代です。それが健全だった。それが今、税金から何兆もだして、日本のオリンピック委員の代表が、収賄(東京に誘致)の疑いまでかけられている。

3つの都市からどこに?と東京!選ばれるとき、なんらかの基準の有識者が選挙のように選ぶのですがそこに収賄があったかもしれない、と言われてることが、我が国の恥ではないのか?国威どころの話じゃないでしょう?・・・それ、マスコミとして追求するのは誰の責任?誰もいない。

いいじゃんいいじゃんそんなことは。お楽しみだけ考えよう、という子ども番組みたいなニュース。

スポーツ好きのために、税金そんなに使うなよ。

そもそも、原発事故がまだ収束してないのに‥という議論さえもない。まったくないことがおかしい。

さて、そんなわけで、公私の区別ということを考えたら、災害にあわれた国民のみなさまが、幸せになれる解決が用意されたかどうか、が私達全国民の興味の対象であって、その災害そのものの警告、災害の救援活動の留意点、その災害がどうなったか‥などの報道が、SNSより遅いというのは、いかがなものか。

つまり、NHKの消費者(お金とられています)なのに、商品に対して、意見はいってくださいきいときますよ、というだけでは、なんかね。

本当はNHKはオリンピックの中継して、それで儲けるシフトなのか?

オリンピックは「公」ではない。儲かる人がいる。

一般国民はもうからないで、大金払ってチケット買って、見るだけ。

十数万円するんだって?チケットが。それ商売ですよね?

オリンピック競技は、ショーなんでしょうか?

いやいや、日本の復興を宣伝する!いや違う、宣言する!

そのお金があったら被災者救済に使えるのに‥。

日本は原発事故が起こったのに、古代ローマのコロシアムで競技を見てるような貴族ぶりでいいのかしら。

公共というのは、国民生活に関することであって、一部のスポーツ好きのために、NHKの放送時間を災害のときにさくほどのことではないと、私は思います。重要度が違う。

その区別がなぜ、つかなくなったか。洪水で流されて行方不明の人と白鵬のケガのニュースが、同じ時間にながされなければいけないことなのか‥。NHKが便利グッズを紹介しなければいけないほど、私達の生活は不便なのか?

一昔前は、NHKは企業の名前も出せない、宣伝と同じ、ということで。それが今は企業名がどんどん出てるし、便利グッズも、企業名が出ていないが、確実に売上向上につながってるでしょう?

そこのセクション、チョイスについて、中立公平なんだろうか?

NHKがなぜ、公共的な話ではなく、私的な話を公共的であるかのように盛り上げてるんだろう?

公私混同してる。

何が言いたいか?

たとえば、おじいさんの着古したモモヒキを誰も買うわけないのにボランティア団体にダンボールで持ち込む人はいいことしてるようで、ゴミ袋代が浮くという偽善がひそんでいます。その指摘を、私達がしなければいけないほど、公私の区別がついてないのです。

つまり、100円200円のゴミ袋代を浮かせたい‥のに、おまえらこれ必要だろう?という人間の心の闇ですね。おじいさんの着古したタンスに寝ていた毛玉だらけのモモヒキがフリーマーケットで買われるわけがない。私達がゴミ袋を買って捨てなければいけない。

黙っていたら、そういう立場に落とされていく。チェルノブイリの子どもたちのために、いらないものほしいんだろう?という。

だから、やめた。でも、もう一つ大事なことを忘れていた。

チェルノブイリの子どもたちの保養を始めた1992年ごろの人びとは、「少しでも売れそうなものを‥選んでおいた」「これはいいと思う」というような物品を寄付してくれました。バザー荒らし(いわゆるリサイクルショップの買い付け)が入り込むほど。お手紙と一緒に。

「私も子育て中で、原発事故が起こったら‥と思うとチェルノブイリのお母さんたちの気持ちがわかる」というそういう人たちの心が、子どもたちの保養を支えていました。

しかし‥経済的にだんだん日本が苦しくなって、バザー用品に出てくるものを、今度は、「100円にして」という人々が現れ始めたのです。バザー荒らし(プロ)の買い付けではなく、一般の100円荒らしが現れたのです。

忘れていたのは、ここですね。3000円するものが、バザーで1000円や500円で売れば、それはボランティア団体も買う側も、ウィンウィンで、チェルノブイリの子どもたちの飛行機代になれば、商品を提供してくださった方の喜びになります。三方良し、に子どもも来日できるので、四方良し。

しかし、どんな商品でも「100円にして」という人たちがフリーマーケットに買いに来られるようになりました。かけはしのスタッフさんたちが、「これは無料で子どもたちの救援のために提供されたもので、100円にはできないんですよ。収益が飛行機代になるんです」と説明して、わかってくれる人ももちろんいますが、ふてくされて、耳に入らない‥。「タダでもらったら、100円でもいいじゃないの?」

なんでも100円になってしまった。

つまり、ものの価値が壊れてしまったんですね。

それがフリーマーケットができなくなったもう一つの大きな理由だった。

何が言いたいか‥。日本の社会の、経済の劣化がひどくなった。

バザーやってるとわかるんです。

テレビなどの大手マスメディアが、SNSから遅れて国民救済の話にたどりつく。すでにスクープでさえない。NHKも新聞も月額3000円ほどの価値があるんだろうか?100円ほどの価値ではないのか?

それほど優秀な人達が働いてきてる感じがしなくなった。

100円で商売する人たちが現れて、日本の経済が、本当になりたっていくんだろうか?

無料で寄贈いただいた原価ゼロ円でのフリマでさえ、なんでも100円!のコールで、とてもじゃないけれど、古着を抱えていられない(家賃がかかります)。まともな値段をつけて、商売していた金物屋さん、衣類など売ってるお店はやっていけるんでしょうか?

地方の商店がつぶれて、介入した大店舗は、売れなくなったら即時撤退です。

残されたその地方の人達は、どこから商品を買ったらいいでしょう?

旧ソ連崩壊当時、ベラルーシの汚染地域の農村で、商品がまったく棚にないお店をよく見ました。

ネットで変えばいいじゃない?お年寄りは?

そういうことを考えるのが公共性であって、それが今、日本になくなってしまったんだじゃない?

100円ショプは確かに便利ですが、破壊性があるという側面を私達は普段見ることができません。

そこの商品を袋に詰めてる人たちは、まじめに労働しても、一生そこで努めていても、家を買うことができるでしょうか?時給をためて。

すべて「個人の努力」で補え!という日本は、それは、国家の責任について考えないようにしています。

国家が未成熟なアジアはそうですよ。大家族制で家族の中で福祉を賄うしかない。

だから、そこからこぼれた子どもたちはごみ拾いしたりスラムで暮らすしかない。

政府をあてにしない?

そこで個人ががんばって、成功すればいい?

成功して国民の税金を盗むような公共事業に手をつけるまで発展したらいいのでしょうか?

政治って、お助け組合じゃないの?

商品の裏に、どれほどの労力がかかってるかみることもなくなり、食品の質もまた劣化(農薬と遺伝子編集の安全性に疑問があっても、議論も検証もないまま許可)していく。

いずれ、一時間300円、で使い捨てられる時代も来そう。

公私の区別ってとてもむずかしいですが、日本人は「滅私奉公」する私がうれしい、という倒錯した価値観を持っています。

「私」の生活がうるおいあるために「公共性」を成熟させることが必要だと思います。

すでにSNSで知ってることを、私達が国民のみなさんにお伝えします、とあとおいの100円の価値もないニュースを3000円で買う方の身にもなってほしい。

マスコミは公共の問題を、中立公正に扱うべきであって、国民の私生活に、こんなグッズ使いなさい、スポーツ応援楽しいよとか、私的なことに介入しないでほしい。

アマテラスが皇室の祖先なわけ無いでしょう?そういう一部の人が信仰してることを、公的に押し付けない。

その区別のつかない劣化が日本の劣化です。

その商品にも値段だけではなく、誰かの仕事であり、誰かの生活を支えていた‥という公共性があった。

今は破壊性しかないのなら、私達は滅んでいく。

むずかしいけれど、ハンドルの方向を別の方向に向けるだけでいい。

日本社会が幼児性がまして、ニュースキャスターがニュース番組ではしゃぐなら「おかあさんといっしょ」という番組の中の100円ニュースコーナー!でニュースをやったほうがわかりやすい。

なんでこんなお子様ランチになっちゃったんだろう。

 

 

 

 

 

 

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