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ありのままに2

ディズニーの「アナと雪の女王」が日本でヒット。「ありのままに」の歌もヒットしていました。

しかし、これほど皮肉な現象をどう理解できるのか?

人と違ったことを言えば、執拗につけねらわれるような国で。

どこかの入社式にみな同じようなスーツ髪型の写真が出回っていました。まるで軍隊のようです。

それがありのまま…なんでしょうか?

どこかに無理がでますよね。

かと思えば自分探しの旅…という言葉もずいぶん流行りました。

え?どこかに落ちてるものなの?

日々の人間関係で落ち込み苦しんでるかたにとって、逃げる…(休暇であっても)はとても大切なことですが。

育てる…じゃないのかな?と思います。エニアグラムのことを知ったかぶりして書きましたが、1番と4番について書きませんでした。

1番というのは職人肌、こだわり、完璧症と書くとなんだか窮屈なイメージがあると思いますが。

人間というのは一つの側面だけを持ってるわけじゃないのです。

人間関係で、同じ1番であっても、他の番号の人達のいいところ、悪いところを、1番のスパイスをかけて吸収してる…ように私は思います。

たとえば、7番はとても楽しい人です。小学校のクラスでいつも面白いことをして人気ものになり、宿題もあまりしないけれど、逃げ足が早い…なんて子がいると思います。

こういう子と1番の子は性格が違いますが、けれど、お互い学び合う関係なんですよね。

根を詰めすぎる子が、少々無責任だけどおおらかに明るさで乗り切ってる子から学ぶことは多い。

逆に7番の遊びだけしかしたくない子が、1番の子の努力する姿をみて、そこから学ぶことは多いのです。

ところが今の日本は、1番の真面目さ、完璧にこなしたい性格、あるいは3番の優等生タイプ(どうみられるかとても気にしてしまう)ぐらいが、学校の先生がうれしいキャラです。

そこにすべてを打ち込まれていないか?ということが私の言いたいことです。

十人十色の十人を率いるのと、同じような行動パターンしか許さないようにするのと、どちらが楽でしょうか?日本は後者なので、どこへいっても、学校だけでなく、クラブ活動でも、市民運動でさえも、みなが同じ考えを共有できないと「不安」が出てきます。異論にどう対処していいかわからないんだろうなぁ。と思う場面がたくさんあります。だから、日本はどこへ行っても軍隊のようになってしまうのです。

小学校の運動会で、人間ピラミッドをさせる悪趣味も、子どもを調教して喜んでるようにしか見えないですね。昨今では文科省も、それを推奨しないと言ってるけれど、まだ日本の学校にゆきわたっていないようですね。

それに気づいたのは、チェルノブイリの子どもたちが初めて、保養にやってきたときです。

「ならんで~」飛行機に乗る前に航空券を渡すのに並んでもらわないと、子どもたちがワラワラ固まってたら、何もできない。他のお客さんにも迷惑で。

ところが、ベラルーシから付き添いできた通訳の人が、意味がわからないんです。

「背の順」「男女別」とかなにか言っても…。そうしたら、「あちらではそういうことは徴兵されてから習うらしいですよ」と言われて愕然としました。

当時、旧ソ連といえば、恐怖の全体国家で、国民は、全員軍事行動をキビキビとしつけられてると思ってたのですが、日本の体育は軍事教練そのままだったのか…と。

というわけで、ちょっと話してるあいだに子どもたちはまたぐちゃぐちゃと固まって来ます。

たとえば、救援物資を持っていって、最初に袋をとってオレンジ、グレープフルーツ、キウイ、最後に日本のお母さんからのプレゼントでアクセサリーというふうに、お願いをしました。そうじゃないとぐっちゃり固まって、最後の人がなくなりそう。

そうして混乱もなく終わったとき、「あなたはラインをつくった…」と言われて、それをどう受け止めていいかわからなくなりました。基本的には混乱を鎮めたね…という意味合いですが。

私はまるで冷酷な工場長のように見えたのかもしれません。せっかくの救援物資が、軍隊の配給のような佇まいだったのかもしれません。救援で大切なのは、モノを通して、心を届けることなのに。

ありのままに…という言葉一つで、ずいぶん考えることがあるものです。

ありのままでいいし、いたいけれど、それでも人間の社会で、年齢が進化するのですから、ありのままでいていいことと悪いこともある。

3歳の子どもの心の美しさの中にとてつもないワガママや依存性もあるわけです。

妹や弟が生まれたら、母親の時間を分かち合わなければいけない。

そのとき、その子の性格によって表現性がまったく変わってくる…。

つまり「お兄ちゃんだから、がまんして」という言葉、それは母親にとって時短の言葉ですが、それで理解できる子、寂しく思う子、嫉妬する子、それを表現できる子できない子、さまざまななんですね。

では大人はどうしたらいいかというと、ありのままに受け止めてあげて非難しないこと。

そして、母親の愛は、弟や妹に分けてしまえば少なくってしまうものではなく、無限なのだと教えていけるどうか…なのではないでしょうか?

今の日本は、税金を公平に分け与えてくれていはいませんけどね。

貧困でも能力がある子が大学に行けるようにはなっておらず、お金持ちの子は楽々と大学に行ける。

そうするとその経済力が世襲になっていく確立がどんどん高くなるのです。

さて、今いちばん、可愛そうなのは虐待を受けた、受けてるお子さんたちですね。

そういう子どもたちに何ができるかというと、「人」の恐怖や暴力の側面ばかりじゃなくて、別の側面もあるのだということ、あるいはこの世界は人間だけでできてるのではなく自然界の中で、動物たちも環境とも密接にかかわっている、どうかかわっていくかは人間次第なのだということを伝えていくことだと思います。

子どもの頃通っていた小学校の先生たちも、お母さんのようにやさしい先生、すぐいじけて泣き出したりえこひいきをする若くて意地悪な先生、黒板拭きの板のほうでものすごく痛く叩く(子どもながらに理由は理解できない)などいろんな大人がいました。

しかし、学校全体としての健全性というのはあったように思います。

けれど、今の学校は、「いじめはなかった」という嘘を子どもたちの前でつきます。

これ、虐待ですね。

【信頼できる大人がいない】という環境は子どもにとって虐待ですよ。

子どもたちがいかに「社会から大切にされているか…」って感じられるか?

なんです。

それで、私達の今年の保養では「だるま森」さん(二人劇団)が足を伸ばしてくれます。

なぜ?

それは子どもたちに「子どもの心を持ち続ける大人」にあって、手作りの芸術にふれてほしいから。

それこそが、本当の癒やしなのです。

カウンセリングや親の力、誰かの孤軍奮闘で、傷ついた子どもを癒やすことはできない。

健全な心を持つ大人に出会って子どもが勝手に自分で吸収できます。

子どもの前に立つには、正直でありのままの人、でありたいです。

いつも、私は子どもたちの前に立つとドキドキします。質問されて答えるときに、嘘をつかず、わかるように説明できたかな???

子どもが、素敵な人たちに出会い、芸術にふれることによって、自分の世界を深めていく。

それこそが人間の持つ力、だと私は思います。

これがエニアグラムの4番の力です。芸術性を尊ぶ心。

コレ自体に良い悪いがないのです。純粋に表現したいものを表現できること、そういう環境を整えるだけでいい。だけど、自分の世界に埋没したり思いつめたり…という方向性へ動いてしまうことがあります。よく作家が自殺してしまいますが。

殺したい…と口にする子がダンボールでナイフをつくってくる。

そのことで、人はどう反応するか見てる…。

その表現にあたたかな芸術性がやどるまで、多くの人とふれあってほしい…。

人間の負の側面にフォーカスしたらキリがないからです。

子どもたちが、周囲の大人たちに尊重されてる…と感じられるかどうか?

「勉強しなさい…」は、時短の言葉です。

ご紹介のチラシは北海道のものですが、子どもたちとラッパを作って、ブーブー鳴らしながらぐるぐる回って楽しかったです。

それで何か得られるのか?何も得なくて良いのでは?習い事でもなく、楽しい空間にいた、たくさんの人にであった、何かをつくった、へんてこな大人が楽しそうにしていて、心の自由を見せてくれる…って、子どもにとって得難い経験なのです。

核家族…お母さんとお父さんのキャラだけでは、子どもが辛い。

親もまた学んでいる最中であるという謙虚さを持たないと。

心は、完璧ではないわけですね。ありのままでいられない部分と自分の芯であるありのままでいていい部分と。色んな人のいいところを吸収するのも誰かにほめられるためじゃなくて、自分がもっと多くの人に愛情を与えられる…ってことに気づいたら。

そうたとえば、月はいろんなかたちを見せてくれてそれぞれの形が魅力的。

でも完成された人格は満月に例えることができるのかも…。

三日月や半月の気持ちもわかります、美しさもわかります。どれも甲乙つけがたい、ありのままで。

 

 

 

 

 

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