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原子力にハッピーエンドはあるのか?

ハッピーエンドは結論から言えばかなり厳しいです。

もしも、ご自分がマンションを購入しようとして見学に行きます。

とても見晴らしもよく、キッチンも広々、部屋も収納がそれぞれあって、お風呂も素敵…。

価格も安いですよ。

って。

でも…そこにトイレがなかったら、買いますか?

やっぱり買うの辞めとこうかな…と思ったとき、

不動産屋さんがいいます。

「このマンションにトイレはないんですが、糞尿をリサイクルして利用しようと思ってますから」

「え?そうなんだ?じゃ、購入しようか…」

「ありがとうございますm(_ _)m」

「あの~もしもし、不動産屋さん、結構糞尿が溜まったんだけど、いい加減運んでくれないかしら…」

「実は~あれこれ、利用しようと思ってたんですが、それがまだ、リサイクルシステムができあがってませんで~」

「どうするのよ、別の部屋にも保存してるのよ~保存してる容器が壊れたら匂うじゃないの」

「今、なんとかこのマンションすべての糞尿を、引き受けてくれるところを探していますから」

「え?今まで探してなかったの?もう40年もたってるのに?今にも引き取ってくれるように言ってたじゃないの??」

「あの~、糞尿をお預かりする費用をいただきたいのですが…」

「何言ってるの?」

「実はそこにとてもお金がかかることがわかりまして~」

というような商売をやってきた人たちに幸せが訪れるでしょうか?

日本学術会議の提言には、国民にもいくばくかの責任があるかのように触れられていましたが。

「科学の世界に素人が何がわかる」的な威圧的事業だったのに、考える責任は国民にもある?

あるのでしょうか?

情報がつまびらかに公開されてきたわけじゃない。

この図は昭和59年の動燃(当時の使用済み核燃料の問題を扱う組織)のパンフレットですが、高レベル放射性廃棄物の放熱からこんな事業もできますよ!という口説きをしていました。

ガラス固化体からこのような放熱が行われてるとして、そのようなものを地下に埋めたら危険?かどうか?当時の国民に理解できたことでしょうか?

地層処分地を探していた動燃でさえ、ガラス固化体のことをよくわかっていなかったのだとわかります。つまり、原子力発電所はアメリカから買って、運転は見様見真似でできたけれど、廃棄物に関しては知識はほとんどなかったも同然、見切り発車だったのだとわかります。この当時で原発はすでに30基ほど動いていました。

つまり、トイレのマンションを購入した国民はトイレができると信じてたのです。

信じた責任は国民にあるのでしょうか?

一つの嘘をついたら次々と嘘をつかねばなりません。

ガラス固化体が完成しないうちに、使用済み核燃料からプルトニウムをとりだして、それで、高速増殖炉を運転します、などなど。エネルギー自前説を打ち上げました。

しかし、それも、建物が建てたけれど、実際は、事業から撤退せざるをえませんでした。

そして、青森県のさまざまな施設や六ケ所村に、使用済み核燃料が集まって中間保存してるところです。

今、私たち国民の責任で何をしなければいけないか?といえば、まず、トイレのないマンションをつくることを辞める。つまり、そこでの発電をいったんとめて、この高レベル放射性廃棄物について、どうするのか…。それについて情報を開示、時間をかけた議論、などなど、間違った商売をやめさせて、軌道を修正する以外に方法がありません。日本が失ってしまった人の道…を取り返すために。

トイレのないマンションは結局は高くつく欠陥商品です。不動産屋をつれてきて、処罰すべきですがもう亡くなってる人もいるでしょう。

嘘の上に築かれた繁栄が、砂の城だったと気づき始めた日本経済ではないでしょうか?

日本は昭和の戦争のとき、「連戦連勝!」と負け戦を報道していました。

結果どうなったかというと、嘘は嘘です。

敗戦になりました。

原子力もまた真実を国民に告げるときが来てるように思います。

等身大の姿を見せてください。

科学の力でなんでもできる?できないですよ。放射能の火を消すことはできないのですから。

地道に働いてる第一次産業の人たちの仕事をまず守る、それが国の根幹です。

お金がなくっても国民のための食べ物だけは確保されるべき。

それが最低限の政治です。

でも、子ども食堂…なんてボランティアでつくらなければいけないほど、飢えてる子どもたち。

子どもたちを飢えさせる政治で、高レベル放射性廃棄物の処理などできるわけがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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