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9.232026
わかなのブログ vol23.私は、武器ではなく「人を守る力」を育てる社会であってほしい
「国民を守るためには武器が必要だ。」
そんな言葉を耳にすることがあります。
世界情勢が不安定になる中で、防衛力の強化が必要だと考える人がいることも理解しています。
もし戦争や武力攻撃という現実的な脅威を考えれば、「抑止力」という考え方があることも知っています。
だから私は、その考えを持つ人を否定したいわけではありません。
でも、それでもなお、私にはずっと抱き続けている疑問があります。
本当に、人を守るために一番必要なものは武器なのでしょうか。
「力」でしか伝わらないのでしょうか
「話が通じない相手には、力で対抗するしかない。」
そんな言葉も耳にします。
確かに現実には、対話だけでは解決できない紛争や犯罪が存在します。
だからこそ警察があり、自衛隊があり、国際社会でもさまざまな安全保障の仕組みがあります。
その現実を私は否定しません。
でも、それでも考えたいのです。
私たちは本当に、「力」を増やすことだけを考えてきたのでしょうか。
対話する力。
相手を理解しようとする力。
人権について学ぶ時間。
平和について考える教育。
違いを認め合う社会。
そうしたものに、私たちはどれだけ力を注いできたのでしょう。
安倍前首相は、「対話ではなく圧力!」と発言していたことがあります。しかし、本当にそうなのでしょうか?
私は、武器よりも先に育てるべき「人を守る力」があるのではないかと思っています。
人権を中心に考えるということ
私は、人権という言葉をとても大切にしています。
人権とは、「自分と違う考えの人にも、人としての尊厳がある」と認めることでもあると思います。
だからこそ、社会のさまざまな制度や法律について議論するときも、私はまず「人権」という視点から考えたいのです。
例えば、日本では国旗や国歌をめぐる議論や、皇位継承のあり方についての議論など、価値観が分かれるテーマがあります。
こうした問題には歴史や憲法、文化など多くの要素が関わっており、簡単に答えを出せるものではありません。
だからこそ私は、「どちらが正しいか」を急いで決めるよりも、「その制度や考え方は、一人ひとりの尊厳や人権をどう守るのだろう」と問い続けることが大切なのではないかと思っています。人権を軸にして考えた時、自ずと答えが見えてくるように思うのです。
災害時に見えてくるもの
福島で原発事故を経験した私は、災害について考える機会が人より多かったように思います。
近年の災害では、避難所での性暴力や性被害が社会課題として取り上げられるようになりました。
行政や支援団体からは、女性や子どもの安全を守るための注意喚起が行われることがあります。
例えば、人目につきにくい場所を避けることや、防犯上の注意が呼びかけられることもあります。
こうした呼びかけには、「今ある危険から身を守る」という意味があります。
一方で、私はいつも考えてしまいます。
本当に変わるべきなのは、被害に遭うかもしれない人の行動だけなのでしょうか。なぜ、被害を受ける側が責任を負わなければならないのでしょうか?
もちろん、自分の身を守る知識は大切です。
でも、それと同じくらい、あるいはそれ以上に大切なのは、「加害を許さない社会」をつくることではないでしょうか。
性暴力をなくすためには、被害者だけが気をつける社会ではなく、加害を生まない教育や、加害者を適切に処罰し、再発を防ぐ仕組みを整えることも欠かせません。被害者が責任を取る、という仕組みではなく、加害者が責任を取る、という当たり前のことをもっと大切にしていくべきではないでしょうか?
私は、社会全体の視点が、もっとそこへ向かってほしいと願っています。
暴力は、本当に人を救うのでしょうか
「人を助けるためには、時には暴力も必要だ。」
この言葉についても、私は何度も考えてきました。
現実には、警察官や場合によっては自衛官が人命を守るために必要最小限の実力を行使する場面や、他者への差し迫った危害を止めるために力が必要になる場面もあります。
そのような状況まで否定したいわけではありません。
一方で、私は「暴力そのものが人を変える」とは考えていません。
暴力は、ときに危険を止める手段にはなり得ても、人の心を育てたり、信頼を築いたりする力とは別のものだと思っています。
私は、福島で原発事故を経験し、多くの苦しみや分断を見てきました。
だからこそ思うのです。
人は恐怖だけでは幸せになれません。
安心できること。
信頼できること。
「あなたは大切な存在だ」と伝えられること。
そういう積み重ねが、人を支えていくのではないでしょうか。
私が信じたいもの
私は、完璧な社会を求めているわけではありません。
世界から争いが一日でなくなるとも思っていません。
それでも、私たちは「何を目指す社会なのか」を問い続けることはできると思います。
私は、武器よりも、人を育てることに力を注ぐ社会であってほしい。
平和について学ぶ時間を大切にする社会であってほしい。
災害が起きても、一人ひとりの尊厳が守られる社会であってほしい。
女性だからといって、差別されることのない社会であってほしい。
人権が、特別な人だけのものではなく、誰にとっても当たり前のものになる社会であってほしい。
そして、人の命を守るために知恵を使い、人を傷つける前に対話を選び、人を裁く前に理解しようと努力する社会であってほしい。
私は、そのような未来を願っています。
福島で原発事故を経験した私にとって、「命を守る」という言葉は、とても重い意味を持っています。
だからこそ私は、これからも問い続けたいのです。
私たちは、何を守るために力を使うのだろう。
何を守るためにお金を使うのだろう。
そして、本当に未来へ残したいものは何なのだろう。
私が伝えたいのは、誰かを責めることではありません。
武器ではなく、人を大切にする心。
恐れではなく、対話。
暴力ではなく、愛。
そんな価値を、これからも私は信じ、伝え続けていきたいと思います。
時に人はこれを綺麗事、お花畑だと言ったりしますが、私はそうは思いません。
命を守ることを、綺麗事、お花畑、だと言ったりするような社会は私は悲しい、と思うのです。
ほんの少しでも今の社会が良くなるよう、私は声を上げ続けていきたいと思います。

