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展示会の資料 国民を守った科学者の戦いのものがたり

映画「決断」の自主上映会も無事に終了しました。
ブログを書こうと思っていたら、なんとまあ、もう6/15。
このごろ時間が早く流れてる気がしませんか?
さて、上映会と同時に、札幌市の手稲駅前コンコースにて、「福島の子どもたちを忘れない」展示会も開催されておりました。4団体ぐらいの共同で開催を続けています。
これはほぼ毎年開催されていて、今年で18回目…。

今回は、当団体は「チェルノブイリ法」の成立までの科学者たちの戦いをかいつまんだ物語風にしましたのでご紹介したいと思います。
イラストもたくさん入れたのは、毎年、高校生たちがながめてくれてることが気になっていました。
放射能のことをお伝えするのはかなり難しいので。

いわずとしれたキュリー夫人(キュリー夫人が放射能という性質を発見してからまだ100年とちょっと。人体被害をあたかもすべて解明しきったような科学など地球上にはまだない)

ゴルバチョフ大統領(旧ソ連の秘密主義と戦い、泥沼に手を突っ込んで、窮地に陥り、旧ソ連崩壊を招く。事故から3年たっての汚染地図の公開は、彼の実績であるが、国民からみたら、秘密にしていただろうという不満の矛先になった)

セルゲイ博士

セルゲイ博士は、ベラルーシ・ロシア、ウクライナの科学者たちを統合した人格として(個人名を出すとまだ危険だと言われています。家族が)。この汚染地図公開は、チェルノブイリ原発事故の被災者救済のための第一歩であり、ゴルバチョフ大統領から見て、命がけで、直訴してきたこの3人の科学者たちをとても信頼し、それぞれの国の調査研究所の代表をまかせました。

イリイン博士 事件の隠蔽、350ミリシーベルト(当時の単位でいえば、生涯35レム)まで被ばくさせても問題ない。生涯…という単位を持ち出すので、小さな子どもでも高汚染地帯から移住できないことになります。しかしながらソ連時代の核開発部門の重鎮であり、保養運動などもってのほか、気候の違うところにでると具合が悪くなるとさんざんセルゲイ博士たちの救済活動の邪魔をしていました。


類は友を呼ぶで、イリイン博士とナガサキ大学の蜜月ぶりも恥ずかしい。東西冷戦なんてみせかけですよね。

IAEA・チェルノブイリ調査委員会議長 重松逸造 IAEAの小児甲状腺がんは放射能のせいではない!という結論は、科学の黒歴史に刻まれると思います。
たとえば、地球が太陽の周りをまわってるといって、それを否定した人たちと同類。

被ばく線量主義…には、旧ソ連の科学では、完全なものではない…と考えられていました。イリイン博士でさえ、空間線量???と最初はとまどっていたようです。
西側、東側という言い方を良くしますが、被ばくの被害の見解にも、西側東側があります。おいおい。
チェルノブイリ法は1ミリシーベルトを超えたら移住の選択、5ミリシーベルトを超えたら居住禁止。
しかも、空間線量Svではなく、土壌線量(キュリー)で、出していきます。
1ミリ以下は国による健康管理区域とされています。子どもはとくに大人の三分の一が限界だと。胎児となればもっと厳しいです。
日本についていえば、経済優先の法則で、すべての被害を科学の力でさぐることすら、ゆるされていないのではないでしょうか?

秘密の公開とIAEAの横やり

チェルノブイリ法による救済の始まり

資料集_1

資料_その2

チェルノブイリでは事故から5年後に、小児甲状腺がんの増加を特定して、チェルノブイリ法を制定しました。
IAEAは、「それは放射能のせいではない」と発表するとわかっていたから、先に法律を制定してしまったのです。
そしてIAEAは、恥ずかしくもなく、謝罪もせずにその5年後、事故から10年後に「やっぱり小児甲状腺がんは放射能のせい」と認めました。
なぜ、その団体に認められないといけないのか?ばかばかしいことです。
日本ではあと何年したら認められるのか?
小児甲状腺がんは甲状腺を全摘出したら毎日、ホルモン剤を飲まなくてはいけない。
そういう医療費だとか、医療検査休暇だとか、いろんな社会保障制度を作る必要があります。
因果関係論など愚かなことです。
それは20年30年たたないと証明できないこともあるからです。

おまいらなんでヨウ素剤を飲ませなかったの?
旧ソ連でも日本でも、同じ失敗。

その責任は問われるべきです。
事故前の法律をいきなり捨てたわけですから。
科学的に、とか、医師がそれを認めない…ということが日本で起こっていますが、専門家の見解のまえに、社会の道理、人道、防災法からふみはずれてるのなら、道を正さないといけない。

「汚染地帯に国民を住まわせて、あとからいろんな病気になったらどうするんだ?
科学者が、そんなことを決めていいのか?国民の命と健康の基準を決めていいのか?」
セルゲイさんの叫びは、人間としての魂の叫びだと思います。
科学者が決めていいんですか?子どもがそんな高い汚染地にすんで、死ぬまで健康でいられると保証できるんですか?
すべて解明されてるんですか?
もしも病気になったときに、あのときはそう思っただけ、としか科学者は言わない。
それで終わり。なんの補償もなく、賠償を勝ち取るために十年以上かかる裁判、しかも、国民と企業にとって公平な裁きであるともいえない、その間に自分の体調がどんどん悪くなっていく。
何もいいことがない。

パネル展で使用した原稿も貸出することもできます。
大きさは、1ページB4,見開きでB3となっております。それが約44枚、資料は1と2で10枚ですが、A3でもA4でもプリントアウトできるかと。
もし小さいサイズでプリトンされたいとうことでありましたら、info@kakehashi.or.jp
までお問い合わせくださいませ。
(今回、ブログでご紹介してる関係で、画素数は小さくなっていますので)

チェルノブイリの救援してるときに、セルゲイ博士らに、IAEAのことをいろいろ聞いてはいましたが、当時の私たちの頭の中にはバザーや子どもたちの交通費をどうやってつくるかしかなくて、フクシマ原発事故後、無理難題を事故発生加害者群から、発せられてるのをみて、ああこういうことだったのか、とあとから理解したことも多かったです。
ヨウ素剤を飲ませなかったくせに、よく言うわあ。です。

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