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エニアグラム

私は専門家ではないのですが。
運動をする人たちは勉強し合ってもいいのかもしれません。
エニアグラムって中東かどこかそういう地域の、王族の人民支配の知恵、いわば、帝王学。一般人に開示されなかったものが、時代がかわって、開示されるようになったのかもしれません。
詳しくは、専門書を。

さて、簡単にいうと、人間は生まれたときからだいたい9つの性格類型に分類される。
1番~9番まで。どれがいちばんいいとかそういうことではない。
読んでいくとフムフム。
そうすると、自分が苦手な人をAさんとするとします。
自分が大好きなお友達をBさんとします。
自分はAさんとはつきあえないけれど、大好きなBさんはAさんともつきあえる。
え?いっしょじゃないの?
つまり、自分と気があうBさんは自分とまた別の面がAさんと合うわけです。
つまり、どの性格が良いとかわるいとかじゃなくて、特徴があるわけで、それでささえあって人間社会がなりたってると考えるわけです。
自分がなぜAさんが苦手で、気のあうBさんとは仲良くできるのか?
考えてみたことがあるでしょうか?
そういう意味でエニアグラムというのは、数々の心理学者が考えた理論よりも、人間社会で、応用しやすいものだと思います。
特に、ボランティアなどの界隈では、人は自由に発言できるので、人間関係のトラブルが起きやすいですね。
そのとき、なぜそのトラブルが起こってるのか、という原因をさぐるためにもとても必要なのです。
たとえば、性格類型で「2番」という性質があります。
私の理解では、これは「やさしさ」「母性」を象徴しています。
困ってる人をみたらほうっておけない、自分の受験の時間に遅れそうでも病気の人を病院に運んでいったりするわけです。
すばらしいやさしさ。ボランティア団体にはこの性質を持ってる人が多いです。
似たような性質を持ってると、気があいますし、議論しなくても、方向性は一致しやすい…しやすいのですが。
「行き過ぎ」の問題も出てきます。
あまりに愛情が強すぎて、母性が強すぎると、たとえば、心配しすぎ、過干渉、いわゆる母親の愛で縛り付ける危険性も併せ持ってることになります。いわゆる愛(自称)で縛りつける。
ボランティア団体の場合のトラブルは大抵ここですね。
その愛情の方向性が、それぞれ個人の育ちや経験によって、表現方法が違ってくるんです。
たとえば、私は、「野党はもっときつくシツケをすべし!」という意見ですが、「あんなにがんばってるんだから信じてみようよ」という人もいるわけです。「いやいや、あの人達はいい人」というふうに、
それが違う意見では実はないんです。
なのにケンカしてしまうんですね~。
そして、9つの性格があれば、またさらにものの味方が9つに別れるわけです。
(実際には9つ以上の組み合わせになりますが)
しかし…何が言いたいかというと、自分たちの心地良い性格の人たちばかりで集まる集団は弱いということ。
意見はむしろバラバラで、9つの性格がそろってるほうが無理難題や危機のとき、誰もが思いつかない方法で、救済方法がポンと出てくるわけです。
(もちろんそれが「泥の船」ってこともあるけれど)

ひきこもり問題は奥が深いと思います。
経済問題もあるし、人間形成の初期に日本の学校の軍隊調の教育で、9つの性格のうち、先生が調教しやすい性格タイプ「3」に押し込めようとしていきます。
この性格は、まあ、「優等生」で何でも優秀にやれてしまう人を想像したら良いかと思います。組織の中で有能に動けるので、官僚タイプ。器用ですが、周りの期待に応えようとしすぎる。
日本の社会では、この反抗せず、優秀なキャラクターを演じれば、無事に大学まで卒業できますが。

たとえば、タイプ5番。内向性がある。自分の世界を大切にする人たち。
このタイプの人はみなさんよく知っています。学者さんタイプですね。人より本が好きな、引っ込みじあんだけど、とても物知り。
そう、「オタク」「学者」「コレクター」。
ゲンダイ社会では、ソフト開発や、ネットゲームの世界の中でのほうが生き生きしてるような。
この子たちは、無理して集団の中に入れようとすると、つまり、タイミングをまちがうと、本当に引きこもりになりやすいです。
でも、人間なので、人間とふれあっていかないと、幅の狭い人生になってしまう。
狭い人生で何が悪いと言いますが、これからも時代は、高齢になるまで引きこもっていられない時代にはいりましたから。
内向的だから人とかかわらないことをよしとするのではなく、内向的で探究心がある、ならば、そういう内向性の成熟した世界につれだしてあげることが必要なんですね。博物館のイベントや、図書館のイベント。ネズミーランドのような騒がしい世界では無くて、おちついて、宇宙や科学の神秘を探求できるように。
だいたいにして、医者とか官僚とかになってしまえば、こちらからコミュニケーションとらなくても、周囲からコミュニケーションとってもらえるので、助かってる人もずいぶんいると思いますよ。
よく観察してみてくださいね。
オーム真理教という集団に科学エリートが集められましたが、たぶん、彼らが心地良かったんでしょう。ある意味、科学と宗教というのは相性が良いのです。一人で内心を探求していく。
では宗教がダメなのかというと、宗教に対して無知だったんですね。
世界の5大宗教と言われるものの教理は大体同じ。そういう智恵もなく、いいとこどりのインスタント宗教の軽くだまされておまえはすごいとだまされる。それこそ人付き合いがせまかったからです。
どなたが書いてましたが犯人達の家には仏壇の一つもなかったというのです。
おばあちゃんが仏壇に向かって手を合わせる姿を見せてこなかった(別に仏教じゃなくていもいいですがね)肌にしみこむ生活体験が希薄だと、すぐに殺す、という話になります。
たとえば、フクシマ原発事故で問題になった山下先生です。
彼などは、おとなしい学者そのもの、ジェントルマンで、ベラルーシの医師達にも尊敬されていました。(ベラルーシでは偉い人は偉いキャラですから)
人間より、甲状腺のほうにしか興味ないだろ、と思っていましたが。
しかし数々のインタビューにも答える社交性を併せ持ち、講演会では明るくはしゃいで「ニコニコしてると放射能はよってこない」と、言って、福島県の人を安心させるという大役をみごとなしとげたわけです。
そうすると、「5番」の学者タイプの素養に加え、そつなくものごとを優等生的にこなす「3番」も強く持ってるのかなぁ、というのが私の感想ですね。3番は茶目っ気もありますから。
「ニコニコしてると放射能がこない」って、そういうこというのボランティア団体のほうの役割じゃん。学者がそんなこといってもいいのかよ!とはならず、ニセ科学という汚名さえも着せられないなんてね。
でも、そういう、味噌もクソも一緒に愛せるのが「9番」平和主義者の人です。
善も悪もみるフィルターを持ってない。それが9番の悪いとき。
本当に9番のいいときは、罪を憎んで人を憎まず…という次元なのでしょう。
だから、この人がいると、グループの中の問題は解決できません。
なあなあにしてしまうからです。
そんなこと言ったらかわいそうでしょう?(という「2番」も強く出てきます。)
そこで反抗するのが、「6番」の不安神経症質と、「8番」の白黒ハッキリさせろ、
です。
6番と8番は似ていますが、とても違う。
6番は自分が誰に従うか…注意深く選ぶ。その人がとても清いととことん尽くしていく。忠誠心が強い。
だけどとにかく不安ですので、疑いもいつも出てくるわけです。
しょっちゅう、これはいかがなものか‥と不満が出てくる。
リーダーの欠点が嫌になったら耐えられない。辞める、明智光秀さんってこんな感じなんでしょうか?
この人と信頼関係を築くのはとても大変です。
「あなた髪の毛ついてたけれど、誰と会ってたの???」と毎日聞いてくる人みたいな。
こんなことが起こったらどうしよう、という不安の中に生きています。
このキャラクターが、日本人という典型キャラクターではないか?
老後不安だから貯金するしかない、と。
石橋をたたいてわたる…もゆきすぎれば、叩いて壊すまで叩く。
8番は短気を克服すれば、リーダーとして、公平性を求めると思います。
まあ、この頃はすくなくなりましたが、男気があるというか、弱いモノいじめみてたら許せない、というような。
しかし、ついつい怒鳴ったり、それは絶対許せないとゆきすぎて、暴力ざたになったりする。
白と黒しか認めないリーダーではグループは息苦しくなる。
そこで、9番の登場ですね。メンバーにいてくれるとなごむ。
でも、9番がリーダーになったグループは崩壊します。優柔不断でなんでもいい、という集団は存在する意味さえ失っていく。
エニアグラムは
中東かどこかの王族が、自分の家臣達をどのように適材適所にするか…という智恵だったようです。
これは9つの生活のどれがいいとか悪いとかでは無く、お互いが影響し合ってる、良いところも悪いところも吸収し合ってる。
つまり、親子で相性の悪い親子もハッキリありますから、勉強すれば
3番の優等生タイプ(人づきあいうまい)のもとにうまれた5番(内向性がある)の子。
人の輪の中にはいれない子どもをうまくやれる3番の親はイライラするのでは?
7番。これはもう遊び人。遊ぶの好きな子。小学校のときは遊んでばかり、宿題やらない。
それが大人まで続いてしまったら無責任男になる。
いますよね~ドラマ手出てくる、「今度はこれあたるからこの商売やりたい」といって借金して回る人。
こういう子は子どもの頃、人気ありますから、気がつかないと本当に、嫌なことから逃げる癖がついてしまいます。明るく楽しく冗談いってするりと手をぬけていってしまう。
でも、本当の楽しさってなんだろうね?って論理的に話してあげると意外に、地に足がついてきます。
7番の子が、5番の子に宿題させるとか、無意識に利用することもあるんじゃないでしょうか?
けれど、ホントは7番の子は5番の子から、学ぶ楽しさを教えてもらったら良い組み合わせなんです。
1から9までの性格のどれがいいとか悪いとかではなく、それは円としてイメージを持っていただければいいかと思います。
どの性格もなくてはならないとわかります。
どの性格も、影響し合ってる、刺激し合って、学びあっていくことで強い人間になっていくと思います。
これだけ個性があるのに、「親や先生のいうことをちゃんときいて、会社に入ったら上司の言うことをきくしかない」というしつけは、個性の抹殺です。
9枚の画用紙があったら、同じ物をみても、9通りの描き方があるはず。なのにみんな同じに描かせる。みんな同じ入社式のスーツ姿。
いつも叱られるとビクビクして、日本人が不安神経症質と、言われるゆえんです。
もちろん、優秀に見られたい3番もないとゲンダイでは適応しきれないかも。

9人子どもがいたら、叱り方もだいたい3通りぐらい必要です。
感情に訴える、論理的に説明する、直感的に。
子どもの性格をよくみなくてはいけません。そして自分の性格も。
必ずどこかに偏りがあるんです。欠点という意味ではないのです。そうやって生まれてきたのです。地球人全員。

今の日本人は悪いことがおこったらどうしよう、という6番。だから、目下(家族)の人にガミガミ言いすぎて(心配性)嫌われます。
そして政治は7番ですね。
責任を取らないで、楽しいことばかり。吉本まで政治に参入です。
(今の高齢者はバブル世代で、人生の基礎をつくる20代30代のときの飲めや歌えの大騒ぎだけで、大もうけしていた恩恵をうけた世代なので、そういう「7番」が強い時代だったのかもしれません)

とくに内向性で問題になってる日本ですが、そういう人たちがネットを通してつながっていたり、そういう職業もあり、むしろ、そういう大人たちとふれあう機会をつくっていくことが必要なのかなと思います。

私はエニアグラムの研究者でもなんてもないし、単に保養にやってくるチェルノブイリの子どもたちのキャラクターが個性的すぎて、そのような知識を一部お借りした必要があったというお話しにとどめていただければ。

でも、ほら、5番の人は、ちょっと調べようと思い始めていませんか?
でもでも、たまには散歩して図書館まででかけてみてくださいね。
あの静かな空気が、ぴったりのはず。

単純化して書きましたが、たとえば、6番だけど2番も強く持ってるとか、心配性だけどお隣の性格7番も持ってる人は、明るく遊ぶこともできます。
大切なのはそれぞれのつまづきやすさを、自覚してほかのキャラクターの良いところを自分にも入れていく。年齢を重ねることで、その性格の偏りがうすまり、9つのキャラクターを吸収してバランスがとれてくる。背伸びも必要ないし努力もいらないと思います。

昨日、ちょっと保養の集団性のメリットを書きました。
核家族では、学べるキャラクターが少なすぎるのです。
虐待が起こるのも、お互いの悪いところが出る組み合わせ…なのかもしれないなぁと思ってみています。

何が心配って言っても、今の日本は、一つのキャラクターを演じさせられてる狂気ですね。
民主主義って9人いたら9つの意見が出てくるところです。
この国、大丈夫なのかなぁ。

(注、あくまで、エニアグラムをどのように応用したか…私見をかきました。本来はこうである!という完璧主義とらわれは「1番」ですが、私があまりそういうものに縛られない性格で、ありますが、この頃はやはりそういうものの大切さも感じています。)

いろいろな書籍がありますが、鈴木秀子さんのものが、教科書として、わかりやすいのではないでしょうか?

今の日本には、責任をとる、誰かから褒められるための…ではなく、質実剛健な、リーダーが必要なんでしょう。

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