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9.182026
わかなのブログ vol.22 福島で原発事故を経験した私が、それでもなお原発再稼働に不安を感じる理由
福島第一原子力発電所事故から15年以上が経ちました。
ニュースでは、原発の再稼働や新たな原子力政策について報じられることが増えています。
一方で、福島第一原発では今もなお、燃料デブリの取り出しや廃炉作業が続いています。
燃料デブリとは、事故によって溶け落ちた核燃料や構造物などが混ざり合って固まったもので、その取り出しは世界でも前例のない難しい作業です。
政府や東京電力は廃炉に向けて作業を進めていますが、燃料デブリの本格的な取り出しはまだ始まったばかりで、廃炉完了までには数十年単位の時間が必要とされています。
私は、この現実を見ていて、どうしても一つの疑問が消えません。
なぜ、まだ終わっていない事故があるのに、原発を動かすことが前提で議論が進んでいるのだろう。
それが、私の率直な気持ちです。
私は15歳で原発事故を経験しました
私は福島県で原発事故を経験しました。
15歳でした。
避難する人たち。
放射線という目に見えない恐怖。
何が安全で、何を信じればいいのか分からなかった日々。
大人たちの説明も、テレビから流れる情報も、刻々と変わっていきました。
事故そのものだけではありません。
事故のあとも長く続いた不安や分断、風評、健康への心配。
そうしたものも含めて、原発事故だったのだと思っています。
だから私は、「事故は終わった」と言われても、その言葉を素直に受け止めることができません。
事故は、今も終わっていないからです。
デブリが残る現実
燃料デブリは、人が近づけないほど強い放射線を出しています。
そのため、遠隔操作ロボットなどを使いながら慎重に作業が進められています。
しかし、これまでにも機器の不具合や技術的な課題があり、計画どおりには進んでいません。
それほど難しい事故だったということです。
これは誰かを責めたいわけではありません。
むしろ、人類がまだ完全には解決できていない課題なのだと思います。
だからこそ私は考えます。
15年以上経っても解決できない事故がある。
その現実を前にして、それでもなお新たな原発を動かし続けることを前提に社会を進めていくことに、本当に十分な議論が尽くされているのでしょうか。
「絶対に安全」は存在しない
もちろん、事故後には新しい規制基準がつくられました。
津波対策や電源確保、防潮堤の整備など、安全対策も強化されています。
以前と全く同じ状態ではありません。
そのことは、正しく評価する必要があります。
一方で、自然災害そのものを完全になくすことはできません。
日本は世界でも有数の地震大国です。
南海トラフ巨大地震についても、政府の専門機関は将来的に発生する可能性があると評価しており、最大クラスの想定では、東日本大震災を上回る広い範囲に甚大な被害が及ぶ可能性が示されています。
もちろん、「必ず東日本大震災以上になる」と断定できるわけではありません。
しかし、被害想定として極めて大きな災害が起こり得ることは、多くの専門家が指摘しています。
私は、そのような国で暮らしています。
だから、「絶対に安全」という言葉を信じることができません。
福島でも、事故の前には「重大事故は起こらない」と考えられていました。
だからこそ、私は「安全神話」を繰り返してはいけないと思っています。
「電気を使うなら反対するな」という言葉について
原発について意見を発信すると、ときどきこんなことを言われます。
「原発に反対するなら電気を使うな。」
あるいは、
「交通事故があるからといって車に乗るのをやめるのか。」
私は、この二つは少し論点が違うと思っています。
私は電気そのものを否定しているわけではありません。
現代社会で電気は生活に欠かせないものです。
病院も、学校も、介護も、仕事も、電気なしには成り立ちません。
だから電気を使うことと、どのような方法で発電する社会を目指すのかを議論することは、別の問題です。
例えば、私たちは毎日食べ物を食べます。
だからといって、食品の安全基準について意見を持ってはいけないわけではありません。
水道を使っているからといって、水質管理について議論してはいけないわけでもありません。
社会の恩恵を受けながら、その仕組みについて考え、改善を求めることは矛盾ではないと私は思います。
車の例も同じです。
交通事故は悲しい出来事ですが、事故が起きるたびにシートベルトやエアバッグ、道路設計や交通ルールは改良されてきました。
つまり、「事故があるから車をなくすか」という二択ではなく、「どうすれば被害を減らせるか」を社会全体で考え続けてきたのです。
原子力についても、本来は同じように、事故の影響やリスク、代替手段、エネルギー安全保障、気候変動対策などを含め、多角的に議論することが必要なのだと思います。
私が一番恐れていること
私が恐れているのは、原子力という技術そのものだけではありません。
一番恐れているのは、「大丈夫だろう」という空気です。
福島でも、その空気がありました。
「想定外は起きない。」
「重大事故は起きない。」
そう信じられていた時代がありました。
でも、事故は起きました。
だから私は、「絶対」という言葉に慎重でありたいのです。
私の願い
私は、原発について考え方が違う人を否定したいわけではありません。
電力の安定供給や脱炭素の観点から原子力を必要だと考える人がいることも理解しています。
だからこそ、お互いにレッテルを貼り合うのではなく、事実に向き合いながら議論することが大切だと思います。
その上で、福島で原発事故を経験した一人として、私は思います。
まだ終わっていない事故がある。
今も故郷に戻れない人がいる。
今も廃炉が続いている。
その現実を忘れたまま、「動かすこと」が当たり前になってはいけないのではないでしょうか。
私は、誰かを責めたいわけではありません。
ただ、あの日の教訓を忘れてほしくないのです。
人の命。
暮らし。
故郷。
未来。
原発事故は、それらすべてに長い影響を及ぼします。
だからこそ私は、エネルギー政策を考える時も、「経済性」や「効率」だけではなく、その先にある一人ひとりの人生に目を向けてほしいと願っています。
それが、15歳で原発事故を経験した私が、今もなお伝え続けたいことです。

