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文化の違いで崩壊しかけた保養運動3

外国人にあまり触れたことのない人であれば、昨今のSNSに蔓延してる外国人怖い、占領される…という勢いに不安になる人も多いかと思います。
その原因は、一つは、日本の近代の歴史教育の失敗…。明治政府から昭和の20年前の戦争の歴史をほとんど教えていません。
それにつきる。
日本の歴史はとても簡単で、江戸時代まではほぼ、身内の争いばかり。単調で簡単だ。だから、大河も、戦国時代の話ばかり。
しかし、明治以降の近代のはなしになるといきなり、複雑になるし、その複雑さはほとんど教えられない。
国内で生活してるだけなら、不便もないだろうけれど。

自分の人生のなかで、チェルノブイリの子どもたちの救援をしていくなかで、日本の戦争の位置付けが、ヤバイなと思ったのは、ハッキリ3回ある。
だれもが昭和の悪しき戦争の話は、親戚や爺さんが戦争で死んだ、あるいは帰ってきたとか、ヤスクニがどうしたとか、特効やひめゆりがかわいそう、はだしのゲンが、とか、バラバラに知識は聞きかじってる。
ここは体験者とはガッツリ違う。
一回目は、チェルノブイリの子どもたちを、ロシアの子どもたちを日本につれてくるな、ロシアは嘘つきだ!という、1本の電話。
男性からだった。
これはもう、当時30歳ぐらいの自分ですから、ほんとうに、男性の言ってることにピンと来ませんでした。
聞き取ることすら不可能。当時は旧ソ連崩壊したばかりで、私たちですら、それらの国の内情を知らない。
ロシア語を話せる人がほとんどいないのに、なぜ、彼は、ロシア人が嘘つきと言うのか。
しかし、当時の戦争経験者たちのなかでロシア人は嘘をつく、ということは確かに言葉としてあったけど、なんで?でした。

次に、ベラルーシへ里親訪問に行ったとき、とんでもない田舎の里子の家で、ほんとうに字もよう書かん(字を書くような、必要に迫られないほど、農民はあんのんとしてた)お父さんが、『日本ねえ、私ら(ベラルーシ)と日本は中国で戦ってるよね。今は友好を深めよう!で、北方領土については…』と持論を展開しようとして、
そのホームパーティに参加してた地元の名士に『それは、エリツィンの仕事だ』と、たしなめられて、はっと気がついて、その話は終わった。

そして、もう三つ目は、北方領土でソ連上陸を迎えて、ソ連に強制連行された日本兵のかたの話。
これは、チェルノブイリの子達が北海道から成田に向かうのに、どうしても一泊しなければいけない。そこで酵素風呂にいれてもらっていました。その酵素風呂のご主人のお父さんの体験ですね。
大本営はもう、武器をおけ!と命令したのですが。オトポールでユダヤ人を救った軍人(この件で東條英機と大喧嘩して北方警備に左遷)が、サハリン、あるいは、北方領土のはるか先まで、ソ連はこのように進軍してくるからとして、警備をひいて、武器もなけなしの手持ちで戦い母艦をしずめて、ソ連上陸を遅らせて、結局は北方領土を犠牲にしてソ連軍を止めました。そこで島のなかに隠れてる日本兵を上陸したソ連は探していたと。
島民は日本兵に民間の衣服を着せたりしたけど、やっぱりわかって、つれていかれたと。
この話をバラバラに聞いてるうちは、なんもわからんのです。戦争体験者ですら、自分の見たものでしか、判断できないので、『この世界の片隅に』という自分ちは焼け出されも徴兵もされなかった珍しい戦争体験をみんなで感動ポイントなしに感動してるおかしな映画があらわれてくる。

最初のロシアは嘘つき!といった男性の暗い声は、『日ソ不可侵条約をやぶって満州に進軍してきた。それさえなければ満州は…』という悔しいつらい思いをした日本人の気持ちの一つだった。
そもそも満州鉄道利権を、(トランプ調で)半分寄越せ!と言ってきた。明治政府は日露戦争の戦費を借りては行けない○ダヤ金融から借りていた。そのときの明治政府のヤミぶりは、全然明らかになってないと思う。
(ロシア帝国崩壊時の金塊を盗んで朝鮮銀行に運び込んだという疑惑すらある)。戦争に負けて、満州から命からがら逃げてくる間に子どもを失ったり親を失ったりとにかくみながたいへんだったのに、肝心の満州鉄道の家族はそうそうに情報があったのか、すぐに大きな船で避難してさっさと、日本に帰ってきたと。ここでも、強制連行された日本人も多いですね。

そして、あとからわかりましたが、ソ連軍のなかに、ベラルーシ人もいたんだな、ということ。
ここで、ベラルーシ人と日本が戦っていたという里子のお父さんの言葉がリンクしてきます。
そして、北方領土で敗戦をむかえ、強制連行された日本兵の方は、捕
虜になってるときに、たくさんのはだか同然のロシア人の人々がつれてこられていたと教えてくれました。
これが今、北方領土やサハリンの一部に住まわされてる人たちです。彼らは主にベラルーシやウクライナで、ナチスドイツの捕虜になってた人たちです。(殺されなかった人もいたんだ)。

スターリンピープルと呼ばれた人たちで、『最後の一人まで戦う』のスローガンに反して捕虜になったから!とスターリンに激怒されて、見せしめにつれてこられました。
つまり、ベラルーシの子どもたちは、北方領土につれてこられた人たちと同じ民族です。
サハリンとの平和交流でも、『私たちの子どもたちを助けてくれてありがとう』と言われることも多々ありました。
(さかのぼって、日露戦争のこともよく知らなくて、チェルノブイリの救援はできないなと感じることもありました。)

先日、ブーチンが、トランプと共同会見がありました。
最初にプーチン大統領がながなが歴史を語り、トランプ大統領が飽きた顔してました(笑)。
それが、ロシヤやベラルーシのものの考え方なのでしょう。
チェルノブイリの子どもたちも自分達の国がどういうディテールで侵略されてきたか、語り継いでいます。
それは国内のだれだれが首相で…というだけの日本の教え方と違う。

戦争というのは国際関係、政策の失敗。それは自国の国民の犠牲前提で、選ぶ最後の最後の選択だったのか?という検証をなされるべきだろう。
かけはしの事務所に電話してきた男性は、電話に出た私があまりに無知なのでそれ以上語れなかったと思う。
どこからその無念さを説明したらいいものか…。

でも、今なら、日ソ不可侵条約(今はそうよばせないらしい)を結んだ松岡洋右が悪いじゃないか?と言ってあげたい。
昭和天皇も、あいつは~と思ってたらしいが。
当時の有名政治家、ヒトラーやスターリンと会談して、自分もそのぐらい、大物と勘違いしてたらしい。

その条約のあとドイツはソ連に進軍。レニングラード攻防に、3年間。
日独伊三国軍事同盟も悪の枢軸と言われてたことも、知らない世代も増えた。
ドイツとソ連と戦って、ソ連が勝利した段階で、日本を攻めてくると想定してなかった。それがもう当時の大本営の限界です。
サハリンに上陸してくるソ連軍を迎えうちしていても物量や人員で限界があり、一気に日本人が逃げ出す。そのさなか踏み潰されたお子さんが一人いました。だれかが木の根もとに埋めてくれた。そして、奇跡的にも顔のところの土があまりかかってなくて、木の葉から落ちてくる雫が顔にあたり水が飲めたと。そして次第に身体が動くようになって、保護されて日本に返されたと。彼女は、チェルノブイリの子どものボランティアをしてくれて、「私もロシア人に親切にしてもらったから」と言う。
北方領土で強制連行された日本兵は、はだか同然の人々にイモの袋で身体をまとう服をぬってあげあり、いろいろ作業する度に、よくしてもらったから、チェルノブイリの子どものためにしてあげたいと。
国家間で戦争してても、あの戦争で異民族間で助け合ってる人たちもいた。

もちろん、犠牲だけの人もいます。東京のイベントで、ベラルーシの子とパネルブースでアピールしてたら、おじいさんがやってきました。
里子に直接、大きな声でなにかわめきだしていました。
男性の親指がないことは、強制連行のときに、ナタで、切られた。どうしてそんな国の子どもをたすけるんだ?
です。その男性の無念さも、また伝わってくる。
そのときの里子の考えはわかります。
「日本はナチスドイツの仲間だったよね。ベラルーシはナチスに四人に一人殺されてるから」という考え。
もちろん、そこまでの日本語はできないけど。

日本人といえども、優しい人もいれば、女子どもを殺せる残酷な人もいるように、ロシア人もまた同じ。アメリカ人も。中国人こそ、ピンきりです。
民族や国籍で判断していたら、有事のときに助からない。

たまたま私は旧ソ連の民間人とも、あるいは高級官僚とも手続き上、お付き合いありましたが、社会階層ごとの文化レベルも違うのです。
この二国間ですら、系統的に日露戦争前あたりから知るにはかなりの伝記などを読まないと、背景が一つにまとまりません。
もちろん、まだなにか出てくるかも。

ただ、このごろ悟ってきたのは、日本は都合悪いことは隠す、言い換える、書き換える、一部を切り取ってポジティブに誇張する。それがひどいし、卑怯である。
平和を愛する心とはその卑怯さを黙認して、とりあえず問題ない毎日を送ることなのか?
そのせいで、また戦争したがりアニメ軍団に、戦争は善、正義のための戦争しかない、であるかのようなねつ造がはじまってる。
戦争はどちらの国も民間の、平民の犠牲でしかない。
そしてここまで書いてきたのは、日ソ不可侵バージョンだ。(日露戦争バージョンは別にある)

原爆被ばくバージョンになると、アメリカ、ソ連、そして、中国で暗躍してた731部隊の話になってくる。
それらは、今の日本のワクチン地獄を構成してるわけで。
厚生省の問題に突き当たる。

中国との戦争バージョンも、日清戦争から引きずる話だ。そこに台湾が出てくる。
当然、朝鮮半島植民地バージョンも。
沖縄バージョンだって必要ですよ。
沖縄がアメリカに占領されていた時代のことを知ってる人は今、どのくらい残ってるのか?
それらを学ぶだけで、一つの科目の確立は必要ではないか?
近代史は自分で読んでおいて、ではすまない。

私らの先祖の両手は血まみれなんだ。
大東亜戦争は、植民地解放などという綺麗事に言うな。
三国軍事同盟はなぜ必要だったか?
植民地主義負け組の植民地奪還の話なのに。
植民地にしたアジアに学校立ててやったんだ!なんて、現地の人に頼まれたのか?
勝手にやった。
日本良しの洗脳装置。
資源収奪したかっただけなのに。
このような明治からの戦争狂の日本を教えないから、また戦争熱が出てきてる。
井の中の蛙の正義など、別の井戸では通用しない。

私の祖父は、まだみぬわが子を遺して自決した、
その戦争体験が、満州や北方領土でおこった悲劇の無数のディテールから構成されてることも、思い至らなかった。
個人の悲劇の体験で終わってはダメ。
一人ひとりのあの戦争にかかわったどこの「国民」にもその悲劇はかかわりをもってる。
たった一人であっても南京でたんなる民間人を軍人が殺したとしたら、それは虐殺だろう?
何しに行ってたのか、ほんとんどの日本人が語れない。歴史教育の敗北でしかない。
なぜか?主犯を隠すからだろう。
それを天皇をからめることで、本当の主犯を隠すことができてきた。

気に入らない行動をする外国人がいるだろう。そこに焦点をあてるとき、誰が何の目的でそういう行動をしてるのか?
とことん、調べるべきであって、直接話を聞いてみるべきである。
それが平和をつくるための行動といえるものです。
誰かの評判をきいて、うのみにしては絶対にいけない。

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