BLOG

核攻撃を受けた夜

今日は広島が核攻撃を受けた日、80回目ですね。
日本政府の被ばく者救済事業が、残酷すぎて書ききれないほど。
いまだ、被ばく者認定とか、非科学的なことをやってますよね。
たかが厚生省の官僚や、裁判官たちが、「あなたは被ばくしてる、してない」なんて決定していいのか?判断は100%科学的なのか?
無理があります。
しかし、今日は、やっぱり被ばくされた人たちの苦しみをどこまで理解できるのか…少し考えてみたいと思います。
さまざまな体験記を読んでみれば、朝の8時15にピカっと光って、ドンという衝撃音がおこり。
そのあと、生皮がぺろりとはげて、皮が男性ならベルトのところまでたれさがったり、腕の皮もむけていたいので、おなかにつけることもできず、前につきだして、ひょこひょこ、歩くしかなかったと。
肥田舜太郎先生は、軍医だったときに、広島で被爆されています。
まず、近くの村で飲みすぎて、朝寝坊気味にあわてて自転車を押して、広島市の中央に向かってる途中で、この世の人間と思えない、化け物のような姿をした人間が列をなして歩いてくるのをみて、
あわてて、その村にもどり、救護所をつくったそうです。
そんなたくさんの人たちが救護所にたどりつけたらまだましで、
多くの人たちが、疲れ果てて、あちこちに座ったり、なんとなくみんなが休んでる広場のようなところで、
息も絶え絶えに横になって、だんだん暗くなる。
顔もはれはがり、目玉がとびだしたり、大けがをしてる人もたくさんいるわけです。
親とはぐれてしまった子や、子どもをさがす。
あるいは、街中が燃えて、家の下敷きになって助け出せなかった家族のことを思い出し、泣いてる人もいたでしょう。
その真っ暗な中で、敵はまだ空襲をかけた…という記述が残っています。
皮がむけるなんて、どんだけの苦しみかわかりません。
どんなに記録写真を探しても、そのような全身の皮がむけてぶらさげて歩いてる人の写真が残ってないのもまた不自然に思います。それがあれば、もっと核廃絶に近づけたのに。
さて、私のつたない描写ですが、
夜に、生きてるのか死んでるのかわからないような状態で、さらに空襲をうけて、その場にいた人たちの、気持ちはいったいどうだったんだろう?
と思います。
もしも、自分だったら…。ぞっとしませんか?
そういう体験をされた人たちを、一人ひとり、品定めするように、あなたは被ばく者、あなたは被ばく者じゃないと、よりわけることの残酷さと非科学さについて、考えただけで、「残酷」の二文字しかうかびません。
今日は、広島の記念式典で、日本の総理大臣が、お仕着せではないスピーチをしたと話題になっていました。
誰が聞いても、心がこもってると思えるスピーチを日本の政治家がするなんてことは、まったく期待していませんでした。

■石破首相あいさつ全文
 今から80年前の今日、一発の原子爆弾が炸裂(さくれつ)し、十数万ともいわれる貴い命が失われました。一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。
 内閣総理大臣として、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、ここに謹んで、哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しむ方々に、心からのお見舞いを申し上げます。
 2年前の9月、広島平和記念資料館を、改装後初めて訪問しました。80年前のあの日、立ち上るきのこ雲の下で何があったのか。焦土となり灰燼(かいじん)に帰した街。黒焦げになった無辜(むこ)の人々。直前まで元気に暮らしておられた方が4千度の熱線により一瞬にして影となった石。犠牲者の多くは一般市民でした。人々の夢や明るい未来が瞬時に容赦なく奪われたことに言葉を失いました。
 広島、長崎にもたらされた惨禍を決して繰り返してはなりません。非核三原則を堅持しながら、「核兵器のない世界」に向けた国際社会の取り組みを主導することは、唯一の戦争被爆国である我が国の使命です。
 核軍縮を巡る国際社会の分断は深まり、現下の安全保障環境は一層厳しさを増しています。しかし、だからこそ、国際的な核軍縮・不拡散体制の礎である核兵器不拡散条約(NPT)体制の下、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現に向け、全力で取り組んでまいります。
 来年のNPT運用検討会議に向けて、対話と協調の精神を最大限発揮するよう、各国に引き続き強く呼びかけます。また、「ヒロシマ・アクション・プラン」に基づき、核兵器保有国と非保有国とが共に取り組むべき具体的措置を見いだすべく努力を続けます。
 「核兵器のない世界」の実現に向け歩みを進める上で土台となるのは、被爆の実相に対する正確な理解です。
 長年にわたり核兵器の廃絶や被爆の実相に対する理解の促進に取り組んでこられた日本原水爆被害者団体協議会が、昨年ノーベル平和賞を受賞されたことは、極めて意義深く、改めて敬意を表します。
 今、被爆者の方々の平均年齢は86歳を超え、国民の多くは戦争を知らない世代となりました。私は、広島平和記念資料館を訪問した際、この耐え難い経験と記憶を、決して風化させることなく、世代を超えて継承しなければならないと、決意を新たにいたしました。
 政府として、世界各国の指導者や若者に対し、広島・長崎への訪問を呼びかけ、実現に繫(つな)げています。資料館の年間入館者は、昨年度初めて200万人を超え、そのうち3割以上は外国からの入館者となりました。日本だけでなく、世界の人々に被爆の実相を伝えていくことも、私たちの責務です。
 「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」は、施行から30年を迎えました。原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、引き続き、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を進めてまいります。
 結びに、ここ広島において、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊の安らかならんこと、併せて、ご遺族、被爆者の皆様並びに参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたします。
 「太き骨は先生ならむ  
 そのそばに 
 小さきあたまの骨 あつまれり」。
公園前の緑地帯にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれた、歌人・正田篠枝さんの歌を、万感の思いを持ってかみしめ、追悼の辞といたします。
令和7年8月6日
内閣総理大臣・石破茂
【石破首相あいさつ全文】核なき世界への主導、戦争被爆国の使命

これは被爆国日本の言葉として、世界中に伝えてほしい挨拶だったと思います。
先生の骨の周りに学徒動員された子どもたちの頭蓋骨が…。
「はだしのゲン」では、戦後占領しにやってきたアメリカ兵たちが、その頭蓋骨を集めて、アメリカにお土産に持って行った話が描かれています。
それもまた放射能が残留してたら被ばくしたんじゃないでしょうかね。
こうして、「もう戦争はイヤだ!戦争しないで話し合いで日本は解決していこう」という憲法を持ちました。
この日本の政治家は、戦争したがりは、憲法違反だということでいいと思います。
燃えてる街をながめながら、まっくらな広場に、情け容赦なく機銃掃射してくる残酷さは、
食料をとりにきたガザの人々にミサイルを撃ち込む様に通ずる。
ニンゲン…という生物にはそういう残酷な性質のものもいる。
けれど、肥田舜太郎先生のように生涯を、被ばく者の救済にささげた愛の人もいます。
おそらくその愛の人たちがいるおかげで、人類は滅んでいないのだと思います。
その晩、も、その次の日も、その次の日も、生き延びてきた被ばく者さんたちに、「あなたは被ばく者じゃない」と言える官僚たちも残酷制度に疑問を感じていない。
科学的に、決めつけできる?
だって科学は日々進歩するのに、現在の思い込みで、国策の被害者をさばくの?
さばいていいの?
たとえば、フランスでは、ナチスのガス室にいた人たちは、PTSDもふくめて、可能性ある…として、政策の保護の対象になってたと。選別しないと。
そこに、愛があるか、ないか。
苦しみを与えたことに対する罪悪感や責任感が皆無なら、政治の場にいてはいけない。

関連記事

コメントは利用できません。
ページ上部へ戻る