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7.282025
多文化共生、わかって説教してるのか?
結論が一つしかない国。
というか、あなたはどっち?右なの左なの?というふうに日本は選択肢が少ない。
チェルノブイリの救援をしていたとき「保養運動ではなく、薬を送れ!」と批判されていたので、欧米はそんなことなく、自由に多様なプログラムで活動されてるのをみてうらやましく思っていました。
日本は欧米のように議論したり話し合ったり…さまざまな意見がないよなと思っていたけれど。
結局、欧米も「一つの結論」以外を言ったら、逮捕されたりするようになってきた。
何がかわらないか?
利口なふりしてても、ニンゲンというのは心底、そんなもんなのかもね。
根は、強いものが弱いものをのしていくんだな。と。
で、何が言いたいかというと、
選挙中に気になったのは、「日本人ファースト」と「多文化共生」というのは、対語なのか?ということ。
どちらも、ファシズム的手法に感じて怖かった。
差別がいけないといいながら、多文化強制に聞こえてた。
いま、なぜ日本にこんなに外国人労働者が、移入されてるか?
それは原因ではなく「結果」ですよね?
「原因」はどこにありますか?
「安い労働者」を欲してる社会構造が法的に許されてる。
悪質になってきてるんです。社会全体が。
労働者を使い捨てOK!
技能実習生なる欺瞞を終えて、もっと悪質になってきた。
そのために30年以上かけて労働運動をつぶしてきた。
その醜い実態を隠してることさえ気づかないで、きれいな「多文化共生」に、違和感を感じないほうがおかしい。
聞いてねえよ、と感じてる日本人も多いと思います。
自分が外国人と同じ安い賃金では食べていけない、ですよね。
日本人の生活困難状態が見えないでいて、外国人と共生していけと言われても、共感できない。
共感できない心を攻められてる罪悪感を持たされる。
そこに、日本人ファーストという、戦争につながっていく悪魔の単語が注入されていく。
安い労働者扱いされて日本にやってくる人たちは、一生安い。
それ、楽しいですか?希望がありますか?
昔の単語でいえば、「奴隷」ですよね。
人権ないですよね。
いつのまに、労働者不足といいいながら、低賃金労働しか提示されなくなったんだろう?
資本主義社会が極悪化してるところをみないと、貯金しろ!死ぬまで働く決意!みたいになっていく。
個人の努力でなんとかなる次元を超えた。
高齢者が病気をおして、働きに出て身体を壊して、ICUに運び込まれても医療費も支払いたくないという国になりかけてる。
おかしいです。
多文化共生を語る人たちは、仕事や文化事業(音楽や芸術、などなど)したり、英語がはなせたりして表面上の付き合いは、よどみなくできるとか、あるいは「人権という観点から絶対に差別はダメ」という風に考えていると思います。
しかしそれは、「共生」とは違う。
「共生」ってのは、生活レベルで、うまくやっていけるか?ってことじゃない?
夫婦でさえ、たった二人でさえ、違う文化をもってる。
一つの空間を共有して、それでも数年たてば考え方の違い、感性の違いが見えてきて、ずれが生じませんか?
でも、それが友人・知人であれば、一緒に生活しないので、おつきあいは続くわけです。
私たちはチェルノブイリの子どもたちを約1か月ホームステイ形式で、一般家庭に滞在して「保養」するというボランティア活動をしてきました。
そのときの体験から言えば、日本人ファースト、多文化共生、もどちらも、ストレスフルです。
自分を押し殺して、お客さんが2泊3日ぐらい滞在して、帰国される…というのであれば、なんとか我慢して通り抜けられるでしょう。
けれど、「共生」となると話は違います。
愛し合った夫婦でさえ、ほんの少しのズレで離婚する人たちがたくさんいるじゃないですか?
けれど、夫婦というのは、「いちおう、がんばって困難を乗り越えて人生を共に歩みます」と誓って一緒になってるわけです。
自分たちで選択した。
それでも、うまくいかないのです。
共に生きる…というのは本当に難しいことなんです。
それを、とてもきれいに言う人は、信用できないし、そして、だから、日本人だけでやっていくんだ!、日本人ファーストという言葉もまた息苦しい。
きれいごとです。
特に日本人ファーストの中身がないから、きれいごとに聞こえる。
苦手だなあ。
と思えば、日本人ファーストを叫ぶが、その中身が何もない。天皇制賛美ぐらいでしょうか?
地方で災害や高齢者問題とむきあって支えて暮らしてきてる人たちへの配慮はない。
福祉も削られすぎてる。
移民法が成立して、外国人労働者がどんどん日本に入ってきて、こきつかわれてる。
あれよあれよという間に。
都市部でも日本人が格安労働者に仕事を奪われてるのも簡単に想像できます。
この状態で、いきなり「多文化共生しろよ」と、国民に義務をおしつけてる状態になっています。
国民の中に、外国人の文化と共生していきます!という選択した意識すらない。
そこがいちばん問題のように思います。
それは、世代間格差として、日本人同士の中で、親子で、家族で、何度も繰り返されてきた話に似てる。
多数であるときには、その中にいたい人は精神安定できるけれど、少数派の場合は出ていくしかない。
都会に出て一人暮らししてみれば、多様な価値観があり、世界は広く感じたはずです。
つまり、選挙間中、どちらもワタシを支配したい人たちが、マイクを握ってるんだよなぁと思ってみてました。
でも、しかし、本当に格安労働者…などが、存在していいのだろうか?
外国人であれば、この物価高の日本で安い賃金で暮らしていけるのか?
私たちより生活苦しいですよね?
それ幸せなわけないじゃないですか?
どこの国籍であれ、同一労働同一賃金であるべきだと、思います。
倫理的にも人道的にも。
日本人ファーストは、昭和の前半、そのまちがった郵政思想の暴走が、戦争に突入させていった。
今の日本は、80年たって、ここを堂々巡りしています。
悪政のせいで、日本は少子化になり、労働人口が減り、さらに労働者を商品(会計上)として扱う社会にしたのですから。
日本人ファーストも、格安労働可の多文化共生も。
文化の衝突ってなんですか?
文化って、人が生きるよすがとも言えます。
それが衝突するってことは、のんびりしてる日本人ですら、危険信号がともってしまうということです。
それを頭ごなしに批判しても、どうにもならない。
感情にふたをすることなので、しこりになる。
まちがった政策はただしていくしか、この混乱を解決できないのに、国民に、適応するように言うなんて。
憲法上、国会議員って公僕でしたよね。
あなたたちが格安労働者として、低賃金で働いてみたらいい。
右なの?左なの?みたいな誘導も、気分悪い。
本質は、上下関係を強化してるだけです。