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10.292026
わかなのブログ vol36「若手教育徹底を」と言われて、私はむしろ驚いた
原発のテロ対策について、
「若手教育を徹底すべき」
という話が出ている。
https://www.asahi.com/articles/ASV9K4CPKV9KUOHB001M.html
もちろん、若い人たちへの教育は必要だと思います。
原発という、とても大きなリスクを扱う場所なのだから、知識や技術を次の世代にきちんと引き継いでいかなければならない。
それは当然のことです。
でも、この記事を読んで、私が一番驚いたのは、そこではありませんでした。
「核セキュリティー文化がまだ根付いていない」
ということ。
え?
まだ、なの?
私はそこに、一番驚いてしまいました。
福島第一原発事故から、もう15年です。
あの事故が起きて、たくさんの人が故郷を離れました。
生活を失った人がいました。
家族や地域とのつながりが変わった人がいました。
今も廃炉作業が続いています。
放射性廃棄物の問題も残っています。
そして、原発というものが一度事故を起こせば、どれほど長い時間にわたって人の暮らしに影響を与えるのかを、私たちは実際に経験しました。
それなのに、15年経った今になって、
「核セキュリティー文化がまだ十分に根付いていない」
と言われる。
私は、むしろそちらのほうが怖い。
原発は、普通の施設ではありません。
一つの判断、一つの管理ミス、一つの情報の扱い方が、重大な結果につながる可能性がある。
だからこそ、危機感を持って管理することが当たり前になっていなければならないはずです。
「安全文化」「安全神話」という言葉があります。
原発をめぐる問題では、技術だけではなく、組織の中で安全を最優先に考え、疑問や異常を見過ごさず、必要なことをきちんと指摘できる文化が重要だとされてきました。実際、原子力を取り巻く組織の構造そのものが事故につながり得るという指摘もあります。
だとしたら、
「教育を徹底しましょう」だけで、本当にいいのでしょうか。
私は、もっと根本的なところを考えなければならないと思います。
なぜ、15年経っても「根付いていない」のでしょう。
なぜ、それが今まで見過ごされてきたのでしょう。
なぜ、「これくらい大丈夫だろう」という感覚が残ってしまうのでしょう。
そして、異常や問題を見つけた人が、
「これはおかしい」
と本当に言える組織になっているのでしょうか。
私は、ここが一番大切なのではないかと思います。
若い人に知識を教える。
技術を伝える。
マニュアルを覚えてもらう。
もちろん必要です。
でも、それだけでは足りない。
「おかしいと思ったら、おかしいと言えること」
「これでは危ない」と思ったら、止められること。
「上の人がそう言っているから」と、そのまま従わなくてもいいこと。
そして、問題を指摘した人が不利益を受けないこと。
そういう組織でなければ、本当の意味での安全文化とは言えないのではないでしょうか。
私は福島の事故を経験した側の人間だから、余計にそう思います。
事故が起きてから、
「もっと危機感を持っておけばよかった」
では遅いのです。
事故が起きてから、
「想定していませんでした」
では遅い。
事故が起きてから、
「教育が足りませんでした」
では遅い。
事故が起きてから、
「組織として問題がありました」
では、被害を受けた人たちはどうなるのでしょう。
だから私は、
「だから事故も起こってしまったのでは?」
と言われても、反論の余地がないのではないかと思ってしまいます。
もちろん、福島第一原発事故の原因を、現在の柏崎刈羽原発の核セキュリティー文化の問題と直接結びつけることはできません。
でも、
「安全を守る文化が十分に根付いていない」
という問題を15年後に指摘されているのだとしたら、
私たちは本当に、あの事故から何を学んだのでしょうか。
そこを問いたいのです。
そして、これは原発だけの問題ではないと思います。
人間は、失敗します。
間違えます。
忘れます。
思い込みます。
だからこそ、組織には「人間は間違える」という前提が必要なのだと思います。
「絶対に事故を起こさない人」を育てるのではなく、
事故につながる小さな異常を見つけられる人。
おかしいことを「おかしい」と言える人。
そして、その声を組織が受け止められる仕組み。
そういうものをつくる必要がある。
「若手教育」という言葉を聞くと、私はどうしても思います。
その若い人たちに、私たちは一体何を渡すのでしょうか。
原発を動かす技術だけでしょうか。
それとも、
「過去に何が起きたのか」
「なぜ事故が起きたのか」
「なぜ人は危険を見過ごしてしまうのか」
「どうすれば同じことを繰り返さずに済むのか」
そこまで含めて渡すのでしょうか。
私は後者であってほしい。
15年前、私は15歳でした。
当時の私は、原発事故について何も決めていません。
それでも、その結果を生きることになりました。
そして今、事故当時まだ生まれていなかった若い人たちが、廃炉や核セキュリティーや放射性廃棄物の問題を引き継いでいく。
その現実を考えると、
「若手を育てればいい」
というだけの話には、どうしても聞こえません。
若い人たちを育てる前に、私たち大人が何を残しているのかを考えなければならない。
安全を語るなら、安全を守れる組織をつくる。
危機管理を語るなら、危機が起きる前から備える。
事故を経験したというなら、その経験を組織の文化にまで落とし込む。
そして、
「まだ根付いていませんでした」
で終わらせない。
私は、それくらいの責任があると思っています。
だって、原発は一度事故が起きれば、
「ごめんなさい」では済まないものだから。
住む場所を失う人がいる。
人生が変わる人がいる。
そして、その影響は次の世代にまで残る。
だからこそ私は、
「若手教育徹底を」
という言葉を聞いて、
「そうですね、若い人たちを育てましょう」
だけでは終われない。
その前に、
「なぜ15年経っても、まだ“根付いていない”のでしょうか?」
と問いたいのです。
そして、
「私たちは、本当にあの事故から学んだのでしょうか?」
と。
私は、そこを知りたいのです。

