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10.262026
わかなのブログ vol35次世代に、何を残すのか
データ不正などが続き、再稼働ができない原発が出てきました。
皮肉な話で、原発再稼働を望まない私からすれば、正直「グッドニュース」とも取れるような、ブラックジョークのような話です。
この15年、嫌だったことを数えればキリがありません。再稼働のニュースは、いつも私の気分を暗くさせます。
原発事故の被害を、まるでなかったかのようにして、再稼働と声を上げる政府や、そこに賛同する人たちの姿を見ると、私は本当にため息しか出ません。
もちろん、電気は私も使っています。
原発事故の被害を受けてもなお、
「生活には電気が必要なのだから、仕方がない」
という声が、全国各地、事故があった福島県内でも、避難者の中からも聞こえてくることがあります。
そのたびに私は思います。
なぜ、そこまで虐げられたのに、なぜまた再稼働などと言えるのでしょうか。
私はずっと、そのことを考えてきました。
原発がなければ暮らせないのでしょうか。
なぜ、原発ありきなのでしょうか。
まるで「必要悪」のように語られる原発。
文明開化のためには、多少の犠牲もやむを得ないということなのでしょうか。
私には、その理屈がどうしても理解できずにいます。
そして、原発だけではありません。
先日の豪雨では、メガソーラーがあった場所で火災が起きました。
以前から、ソーラーパネルによる火災については、消火活動の難しさなどが問題視されてきました。
けれど、そのたびに、
「だったらどうするんだ!」
という、まるで逆ギレのような声が聞こえてきて、十分に議論する余地すらないように感じることがありました。
今回も、パネルがずり落ち、火災が発生しました。
街中では洪水によって、生活そのものがままならなくなるような状況になりました。
「自然災害なのだから仕方がない」
という人もいます。
でも、私はそうは思いません。
もちろん、自然災害そのものを人間がすべて防ぐことはできません。
けれど、自然を壊し、その土地の環境を変えた結果として災害の被害を大きくしているのだとしたら、
「自然災害だから仕方がない」
だけで済ませていい話ではないと思います。
循環型エネルギー。
再生可能エネルギー。
そう聞けば、未来のための素晴らしいもののように聞こえます。
でも、そのために森や自然を壊し、土砂崩れや火災などの新しい問題が起きます。
パネルから出る有害物質への不安も生まれます。
私たちは、いったい何をしているのでしょうか。
何を見せられているのでしょうか。
私は、ふと目を背けたくなります。
でも、目を背ければ背けただけ、後から向き合わなければならなくなります。
原発も。
エネルギーも。
環境も。
そして、私たちが次の世代に残していくものも。
果たして、上にいる責任者たちは、今の「次世代」の声を聞いているのでしょうか。
「これからの時代は、次世代が担う」
「次世代のために」
そんな言葉をよく聞きます。
でも、結局のところ、すでにやることを前提とした表面上の「対話」しかできていないのではないでしょうか。
本当に次世代の声を聞くのであれば、
「これは本当に必要なのでしょうか?」
「私たちはどうしたいのでしょうか?」
というところから、一緒に考える必要があるはずです。
すでに決めたことを、次世代に説明する。
それは「対話」とは少し違うのではないでしょうか。
若い人たちの多くは、今の社会に諦めがあります。
その大きな理由の一つは、やはり自分の親世代の「諦め」を見てきたからなのではないかと私は思います。
子育てに疲れ、話を聞くこともままならず、生活に追われ、生きることに喜びを見出せず、子どもに教育することもできず、学校にばかり任せて、「家庭のために」と働いてきました。
その結果、育った子どもたちはどうなったのでしょうか。
私は今の社会に、どう希望を見出すのでしょうか。
この15年、ずっと考え続けてきました。
でも、一貫して私の中での答えは変わりません。
生きる覚悟を、各々が持つことです。
そして、
自分の命や、自分の生き方に、いかに責任を持つのか。
その中に、希望があります。
こんな社会であろうとも、
「私は生きる」
と思える道を、自分で模索します。
自分の命を、自分の人生を、ちゃんと味わいます。
そのことこそ、やはり私にとっては希望なのだと思います。
無気力なミイラのような生き方の先に、何があるのでしょうか。
自分自身が楽しくない。
辛い。
苦しい。
それを誰かのせいにしている。
そんな姿を見て、我が子が楽しく生きられるでしょうか。
子どもは、親の笑顔が見たくてたまりません。
病んだ顔。
悩み苦しむ顔。
そして、それを誰かのせいにする姿。
不条理を仕方がないと言う姿。
親も大人も大変だったのだ。大人の都合があるのだと言う姿。
そんな姿を、子どもは見たいと思うでしょうか。
だから私は、今の時代を生きる子どもたちや若い人たちの言葉を、よく聞いてほしいと思います。
何を思っているのか。
何が嫌なのか。
何を望んでいるのか。
その思いを引き出す。
それが、大人たちにできることなのではないでしょうか。
当時15歳だった私は、少なくとも、そうしてほしかったのです。
自分の目の前にある社会について、
「あなたはどう思いますか?」
「あなたはどうしたいですか?」
と聞いてほしかったのです。
そして今、私は思います。
「次世代」という言葉を使うのであれば、次世代に責任を押しつけるのではなく、まず今を生きている大人たちが、自分たちの責任を果たすべきです。
自分たちが本来果たすべき責任すら認識できず、
「次の世代が何とかしてくれる」
と、次世代を当てにしているのであれば。
そのツケは、必ずどこかで回ってきます。
原発も。
環境も。
エネルギーも。
そして、今の社会そのものも。
私たちが今、何を選ぶのか。
何を諦めるのか。
何を守るのか。
それを見ているのは、今の子どもたちです。
だから私は、
「次世代のために」と言う前に、今を生きる私たち自身が、どんな未来を残したいのかを考えなければならない。
そう思っています。

