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10.222026
わかなのブログ vol.33 15年経っても終わらないものを、私たちはどうするのか
原発のセキュリティについて、また問題が起きています。
原発は、普通の施設ではありません。
核物質を扱う以上、情報管理も、入退域管理も、内部からの脅威への対策も、極めて厳格でなければならない。
それなのに、その管理そのものに問題が起きている。
東京電力自身も、柏崎刈羽原発などをめぐる核物質防護秘密の不適切な取扱いについて、組織全体として「内部脅威者」が存在する可能性へのリスク認識が十分ではなかったとしています。
私は、ここにとても大きな不安を感じます。
これからAIが発達していけば、ますます情報管理は重要になります。
情報を誰が見られるのか。
誰が持ち出せるのか。
誰がアクセスできるのか。
もし情報が漏れたらどうするのか。
AIによって情報の分析や生成が高度化していく時代に、そもそも基本的なセキュリティ管理が徹底できていない組織に、より高度で複雑な情報管理を任せて大丈夫なのだろうか。
原発だから特別なのではありません。
これからの社会全体に関わる問題です。
そして、福島第一原発事故から15年が経ちました。
もちろん、廃炉作業が何も進んでいないわけではありません。
燃料の取り出し、燃料デブリの調査・試験的取り出し、汚染水対策、放射性廃棄物の管理など、さまざまな作業が続いています。
でも、15年経った今も、燃料デブリの本格的な取り出しをはじめ、極めて難しい課題が残っています。
つまり、
「事故から15年経ったから、もう終わった」
とは到底言えない。
むしろ、15年経ってもなお、これだけ長期にわたって人間が管理し続けなければならないものを、私たちはつくってしまったのだと思います。
そして、核ゴミの問題もあります。
放射性廃棄物は、普通のゴミのように「処理して終わり」にはできません。
放射性物質には、それぞれ半減期があります。
だから、数年、十数年という時間だけで、すべての問題が終わるわけではありません。
私たちが生きている間だけではなく、その先の世代まで管理が必要になるものがあります。
では、その責任を誰が引き受けるのでしょう。
事故を起こした人たちでしょうか。
原発を推進してきた人たちでしょうか。
電力会社でしょうか。
国でしょうか。
それとも、事故が起きたときにはまだ生まれていなかった子どもたちでしょうか。
私は、そこを考えると途方に暮れてしまいます。
私たちは一体、何を次の世代に残そうとしているのでしょうか。
原発事故の処理。
放射性廃棄物。
汚染物質。
廃炉のための技術。
そして、事故によって傷ついた人たちの心や、失われた故郷。
これらは、時間が経っただけでは消えません。
福島県も、2026年現在、燃料デブリの取り出しや汚染水対策、放射性廃棄物の管理などについて継続的に監視しています。
それはつまり、まだ終わっていないということです。
そして私は、ここで一つの矛盾を感じます。
事故を起こした。
その後も長い年月をかけて処理をしている。
管理には高度な技術と人材が必要になる。
それなのに、今度は別の場所で原発を動かそうとする。
さらに、新しい原発をつくろうという議論まで出てくる。
私たちは、本当にこの問題を解決できたのでしょうか。
それとも、解決できていない問題の上に、さらに新しい問題を積み重ねようとしているのでしょうか。
そして、もしまた事故が起きたら。
もし戦争やテロ、大規模災害などが重なったら。
もし必要な人材が確保できなかったら。
もし電力や通信、交通が止まったら。
そのとき、誰が管理するのでしょう。
誰が現場へ向かうのでしょう。
誰が責任を取るのでしょう。
私は福島から逃げた経験があります。
だから、「また事故が起きるかもしれない」という言葉を、遠い未来の話として聞くことができません。
一度事故が起きれば、住み慣れた土地を離れなければならない人が出る。
生活そのものが変わる。
そして、その影響は事故が収束した後も続いていく。
だからこそ、私は思うのです。
「安全対策を強化しました」だけではなく、「そもそも、なぜここまで管理し続けなければならないものを持つのか」まで考えなければいけないのではないか。
原発を動かすことだけを考えるのではなく、
どうすれば事故を起こさないのか。
どうすれば廃炉を進められるのか。
どうすれば核ゴミを安全に管理できるのか。
どうすれば次の世代に過剰な負担を残さずに済むのか。
そして、
どうすれば、これ以上「事故の後始末」をする人を生み出さずに済むのか。
そこまで考えてほしい。
私は、政治や原子力の専門家ではありません。
何が正解なのかも、分かりません。
ただ、15年前に原発事故を経験した一人として、
「これで本当に大丈夫なの?」
という疑問だけは、どうしても消えません。
セキュリティの管理が十分にできているのか。
危機管理は本当に機能しているのか。
事故処理は本当に私たちが想像するより早く終わるのか。
核ゴミをどうするのか。
汚染物質をどうするのか。
次の世代に何を残すのか。
そして、もし何かが起きたとき、
誰が責任を取るのか。
答えが見えないまま、
「大丈夫です」
「安全です」
「管理できます」
と言われても、私はもう簡単には信じることができません。
むしろ今必要なのは、
「私たちには何ができていて、何ができていないのか」
を正直に示すことなのではないでしょうか。
できないことを、できると言わない。
分からないことを、分かったことにしない。
終わっていないものを、終わったことにしない。
そして、過去の事故によって生まれた傷や負債を、次の世代に押しつけない方法を考える。
私は今、
「じゃあ、私はどうしたらいいんだろう」
と思っています。
途方に暮れています。
でも、分からないからこそ、考えることをやめたくはありません。
事故から15年。
これだけの時間が経っても終わっていないものがある。
その事実を、なかったことにしない。
そして、
「これから私たちは、どう生きたいのか」
を、もう一度考えたいと思います。

