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10.192026
わかなのブログ vol.32 原発を守るために、私たちは何を残そうとしているのか
原発のテロ対策は、もちろん必要です。
原発という巨大なエネルギー施設を守るために、テロや不正侵入などへの対策を徹底することは、当然のことだと思います。
最近、柏崎刈羽原発をめぐって、原発のテロ対策について専門家委員会から「若手教育を徹底すべきだ」という指摘が出ています。
若い世代を育て、技術や知識を引き継いでいく。
それ自体は必要なことです。
でも、私はそのニュースを見ながら、別のことを考えていました。
そもそも、これだけの原発を沿岸部に抱えている日本で、私たちは「戦争を起こさないための外交」をどれだけ真剣にやっているのだろう。
原発をテロから守る。
ミサイル攻撃などのリスクを考える。
非常時の訓練をする。
若い人たちに技術を継承する。
もちろん、どれも必要でしょう。
でも、それ以前に、
「原発が攻撃対象になるような状況そのものを、どうすれば避けられるのか」
を考える必要があるのではないでしょうか。
日本には、福島第一原発事故を経験した私たちがいます。
そして現在も、柏崎刈羽、東海第二、浜岡、女川、島根、玄海、川内など、全国各地に原発があります。
もし戦争や大規模なテロによって、そのどこかで重大な事故が起きたら。
私たちは、本当に逃げられるのでしょうか。
どこへ逃げるのでしょうか。
道路は使えるのでしょうか。
電車は動くのでしょうか。
通信は確保できるのでしょうか。
避難先は確保できるのでしょうか。
そして、複数の地域で同時に危機が起きた場合、誰が住民を誘導するのでしょうか。
「原発を守ります」という話だけではなく、
「守れなかった場合、どうするのか」
まで考えなければならないと思います。
福島では、それが現実になりました。
原発事故が起きれば、住み慣れた土地から離れなければならない人が出ます。
家を失う。
仕事を失う。
家族と離れる。
地域のつながりを失う。
そして、事故が終わったからといって、すべてが元に戻るわけではありません。
廃炉には長い時間がかかります。
事故によって生まれた問題も、何十年という単位で残ります。
だからこそ、「若手の育成」という言葉にも、私は複雑な気持ちになります。
これから原発を運営するために、若い人たちを育てる。
廃炉を進めるために、若い人たちを育てる。
事故処理のために、若い人たちに技術を継承する。
でも、その「若手」と呼ばれている人たちの中には、福島第一原発事故が起きたとき、まだ生まれていなかった人たちもいる。
事故を起こしたわけでもない。
原発政策を決めたわけでもない。
それでも、その人たちは、事故によって残された課題を引き受けることになります。
そして、その次の世代もまた。
これは、原発だけの話ではないのだと思います。
私たちは歴史の中で、さまざまなものを次の世代に渡してきました。
戦争の傷。
公害。
原発事故。
環境汚染。
そして、社会の中に残った分断や不信。
それらは、時間が経てば自然に消えていくものではありません。
誰かが向き合い、誰かが引き受け、誰かが癒やしていかなければならない。
では、
その負債を、いったい誰が背負うのでしょうか。
事故を起こした世代だけでしょうか。
政策を決めた人たちだけでしょうか。
企業だけでしょうか。
国だけでしょうか。
それとも、何も知らずに生まれてきた子どもたちまで、その負担を引き継いでいくのでしょうか。
私は、そこに大きな違和感があります。
原発事故の当時、私は15歳でした。
私自身も、あの事故によって、それまで当たり前だった生活を失いました。
だから、事故から15年経った今、
「若い人を育てていかなければならない」
という言葉を聞くと、
「その若い人たちに、私たちは何を残そうとしているのだろう」
と考えてしまいます。
技術だけを残すのではなく、
事故の記憶も残さなければならない。
なぜ事故が起きたのか。
なぜ被害が広がったのか。
なぜ避難しなければならなかったのか。
なぜ今も廃炉が続いているのか。
そして、同じことを繰り返さないためにはどうすればいいのか。
そこまで含めて、次の世代に渡していかなければならないと思います。
そして、本当に必要なのは「原発を守る人材」だけなのでしょうか。
私は、
「原発が必要なくなる社会をつくるための人材」
も必要なのではないかと思います。
もちろん、現実にはすぐにすべての原発をなくせるわけではありません。
だからこそ、今ある原発を安全に管理し、廃炉に向けて対応する人たちは必要です。
しかし、それと同時に、
「なぜ私たちは、このような巨大なリスクを抱える社会をつくってきたのか」
という問いも残さなければならない。
テロ対策をする。
若手を育成する。
安全対策を強化する。
それでもなお、事故や戦争や災害の可能性をゼロにはできません。
だから私は、
「守れるから大丈夫」ではなく、「守れなかったときにどうなるのか」まで考えてほしい。
そしてもう一つ、
「そもそも、そんな状況を生み出さないために何ができるのか」
を考えてほしい。
原発を守るための対策だけではなく、
戦争を起こさないための外交。
攻撃されないための関係づくり。
災害が起きても逃げられる社会。
そして、事故を経験した人たちの痛みを忘れないこと。
私は、それらも「安全保障」なのだと思います。
歴史の中で生まれた負債や傷や痛みを、私たちは本当に癒やしていけるのでしょうか。
それとも、
「仕方がなかった」
「必要だった」
「もう終わったことだ」
という言葉で、次の世代に渡してしまうのでしょうか。
原発を守るために若い人を育てる。
その前に、私たち大人が考えなければならないことがあると思います。
次の世代に、何を残したいのか。
放射性廃棄物だけではなく。
事故の記憶だけでもなく。
恐怖や不安だけでもなく。
「もう二度と、こんなことは起こさない」
と本気で考えた社会を残したい。
私は、そう思います。

