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わかなのブログ vol.32 原発を守るために、私たちは何を残そうとしているのか

原発のテロ対策は、もちろん必要です。

原発という巨大なエネルギー施設を守るために、テロや不正侵入などへの対策を徹底することは、当然のことだと思います。

最近、柏崎刈羽原発をめぐって、原発のテロ対策について専門家委員会から「若手教育を徹底すべきだ」という指摘が出ています。

若い世代を育て、技術や知識を引き継いでいく。

それ自体は必要なことです。

でも、私はそのニュースを見ながら、別のことを考えていました。

そもそも、これだけの原発を沿岸部に抱えている日本で、私たちは「戦争を起こさないための外交」をどれだけ真剣にやっているのだろう。

原発をテロから守る。

ミサイル攻撃などのリスクを考える。

非常時の訓練をする。

若い人たちに技術を継承する。

もちろん、どれも必要でしょう。

でも、それ以前に、

「原発が攻撃対象になるような状況そのものを、どうすれば避けられるのか」

を考える必要があるのではないでしょうか。

日本には、福島第一原発事故を経験した私たちがいます。

そして現在も、柏崎刈羽、東海第二、浜岡、女川、島根、玄海、川内など、全国各地に原発があります。

もし戦争や大規模なテロによって、そのどこかで重大な事故が起きたら。

私たちは、本当に逃げられるのでしょうか。

どこへ逃げるのでしょうか。

道路は使えるのでしょうか。

電車は動くのでしょうか。

通信は確保できるのでしょうか。

避難先は確保できるのでしょうか。

そして、複数の地域で同時に危機が起きた場合、誰が住民を誘導するのでしょうか。

「原発を守ります」という話だけではなく、

「守れなかった場合、どうするのか」

まで考えなければならないと思います。

福島では、それが現実になりました。

原発事故が起きれば、住み慣れた土地から離れなければならない人が出ます。

家を失う。

仕事を失う。

家族と離れる。

地域のつながりを失う。

そして、事故が終わったからといって、すべてが元に戻るわけではありません。

廃炉には長い時間がかかります。

事故によって生まれた問題も、何十年という単位で残ります。

だからこそ、「若手の育成」という言葉にも、私は複雑な気持ちになります。

これから原発を運営するために、若い人たちを育てる。

廃炉を進めるために、若い人たちを育てる。

事故処理のために、若い人たちに技術を継承する。

でも、その「若手」と呼ばれている人たちの中には、福島第一原発事故が起きたとき、まだ生まれていなかった人たちもいる。

事故を起こしたわけでもない。

原発政策を決めたわけでもない。

それでも、その人たちは、事故によって残された課題を引き受けることになります。

そして、その次の世代もまた。

これは、原発だけの話ではないのだと思います。

私たちは歴史の中で、さまざまなものを次の世代に渡してきました。

戦争の傷。

公害。

原発事故。

環境汚染。

そして、社会の中に残った分断や不信。

それらは、時間が経てば自然に消えていくものではありません。

誰かが向き合い、誰かが引き受け、誰かが癒やしていかなければならない。

では、

その負債を、いったい誰が背負うのでしょうか。

事故を起こした世代だけでしょうか。

政策を決めた人たちだけでしょうか。

企業だけでしょうか。

国だけでしょうか。

それとも、何も知らずに生まれてきた子どもたちまで、その負担を引き継いでいくのでしょうか。

私は、そこに大きな違和感があります。

原発事故の当時、私は15歳でした。

私自身も、あの事故によって、それまで当たり前だった生活を失いました。

だから、事故から15年経った今、

「若い人を育てていかなければならない」

という言葉を聞くと、

「その若い人たちに、私たちは何を残そうとしているのだろう」

と考えてしまいます。

技術だけを残すのではなく、

事故の記憶も残さなければならない。

なぜ事故が起きたのか。

なぜ被害が広がったのか。

なぜ避難しなければならなかったのか。

なぜ今も廃炉が続いているのか。

そして、同じことを繰り返さないためにはどうすればいいのか。

そこまで含めて、次の世代に渡していかなければならないと思います。

そして、本当に必要なのは「原発を守る人材」だけなのでしょうか。

私は、

「原発が必要なくなる社会をつくるための人材」

も必要なのではないかと思います。

もちろん、現実にはすぐにすべての原発をなくせるわけではありません。

だからこそ、今ある原発を安全に管理し、廃炉に向けて対応する人たちは必要です。

しかし、それと同時に、

「なぜ私たちは、このような巨大なリスクを抱える社会をつくってきたのか」

という問いも残さなければならない。

テロ対策をする。

若手を育成する。

安全対策を強化する。

それでもなお、事故や戦争や災害の可能性をゼロにはできません。

だから私は、

「守れるから大丈夫」ではなく、「守れなかったときにどうなるのか」まで考えてほしい。

そしてもう一つ、

「そもそも、そんな状況を生み出さないために何ができるのか」

を考えてほしい。

原発を守るための対策だけではなく、

戦争を起こさないための外交。

攻撃されないための関係づくり。

災害が起きても逃げられる社会。

そして、事故を経験した人たちの痛みを忘れないこと。

私は、それらも「安全保障」なのだと思います。

歴史の中で生まれた負債や傷や痛みを、私たちは本当に癒やしていけるのでしょうか。

それとも、

「仕方がなかった」

「必要だった」

「もう終わったことだ」

という言葉で、次の世代に渡してしまうのでしょうか。

原発を守るために若い人を育てる。

その前に、私たち大人が考えなければならないことがあると思います。

次の世代に、何を残したいのか。

放射性廃棄物だけではなく。

事故の記憶だけでもなく。

恐怖や不安だけでもなく。

「もう二度と、こんなことは起こさない」

と本気で考えた社会を残したい。

私は、そう思います。

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