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10.52026
わかのブログ vol.26 目の前の災害を放置して、なぜ戦争へ向かうのか
福島で暮らしていた私は、原発事故のあとからずっと、「言葉」に対して敏感になりました。
「安全です」
「問題ありません」
「風評被害です」
「復興しています」
そうやって、不安を感じている人たちの言葉に蓋をして、あたかも「安全なこと」にしてしまう。
私は、福島で起きていたことを見ながら、そんな国の姿勢に、戦時中の日本とどこか似たものを感じてきました。
不安なことを不安だと言わせない。
疑問を持つことを許さない。
国が「大丈夫」と言えば、大丈夫だと思わなければならない。
そうやって現実を覆い隠していく。
そして今、私はまた同じようなものを感じています。
日本各地で災害が起こっています。
地震、豪雨、台風。
そして、2026年には熊本でも大きな地震が発生し、現在も一部の施設が避難所として使われています。熊本市の公式情報を見ても、8月末時点で「当面の間、避難所として開館」とされている公民館などが複数あります。(熊本市災害対策本部会議資料 / 熊本市公式サイト)
それなのに、国の防衛費は過去最大規模に膨らんでいます。
2026年度の防衛関係予算は9兆353億円。
防衛力整備計画に基づき、ミサイル、極超音速誘導弾、潜水艦発射型誘導弾などの整備が進められています。(財務省)
もちろん、国を守るための防衛を考えることそのものを否定しているわけではありません。
しかし、私はどうしても疑問に思うのです。
目の前にいる国民を守ることと、まだ起きていない戦争に備えること。
その二つを比べたとき、今の日本はどちらに、どれだけのお金と力を使っているのでしょうか。
災害が起きれば、避難所の環境が問題になる。
住む場所がなくなる。
水が出ない。
電気が使えない。
道路が寸断される。
高齢者や障害のある人、子どもたちが取り残される。
それでも、復旧には時間がかかります。
災害が起きるたびに、「想定外だった」と言われる。
そして、そのたびに現場の人たちが必死になって対応する。
それなのに、国家予算を見れば、防衛については「これだけ必要だ」「これだけ増やす」と、驚くほど具体的に、そして速いスピードで進んでいく。
一方で、私たち国民の生活はどうでしょうか。
物価は上がる。
円安によって輸入品の価格も上がる。
生活が苦しくなっている人がいる。
年金についても、将来的な受給開始年齢の見直しなどが議論される。
「財源がない」
そう言われる。
でも、国が何にお金を使うのかを見ていると、本当に財源がないのだろうか、と私は思ってしまいます。
海外への支援も必要でしょう。
国際社会の一員として、日本が他国を支援することにも意味があります。
しかし、目の前で困っている人たちを置き去りにしてまで、海外への支援や軍事的な取り組みを優先するのであれば、私はその優先順位を問いたくなります。
一体、誰のための政治なのでしょうか。
そして今、私はもう一つ、大きな不安を抱えています。
戦争です。
2026年、アメリカとイランの間では実際に軍事衝突が起きています。
米軍は「Operation Epic Fury」を展開し、イラン国内の目標を攻撃しました。8月30日にも、米軍がイランのランチャーを攻撃し、その後イランがヨルダンにある米軍施設へ弾道ミサイルを発射するなど、軍事的な応酬が続いています。(Reuters)
そして、ここで私たちは日本との関係を考えなければなりません。
日本には約6万人の米軍関係者が駐留しています。
日本にある米軍基地は、単に「日本を守るためだけ」の施設ではありません。
米軍自身が、日本に駐留する部隊をインド太平洋地域における作戦・危機対応のための戦力として位置づけています。(アメリカ海軍航空隊)
実際、佐世保を拠点とする強襲揚陸艦「トリポリ」と第31海兵遠征部隊は、2026年前半に米第5・第7艦隊の作戦地域へ展開し、7月に日本へ戻っています。米軍自身も、第7艦隊の部隊が危機対応から本格的な戦闘作戦までを想定した能力を持つと説明しています。(海軍基金管理局)
つまり、日本は「戦争とは無関係な場所」ではありません。
日本国内には、アメリカ軍の巨大な軍事インフラがあります。
そのアメリカが今、実際にイランと戦争をしている。
私は、この現実をもっと真剣に考える必要があると思います。
日本政府とアメリカ政府は2026年6月にも、拡大抑止について協議し、アメリカ側は核を含むあらゆる防衛能力によって日本防衛に関与することを再確認しています。日本側も米軍の活動への支持を確認しています。(グローバルセキュリティ)
これは、日本が戦争をしているという意味ではありません。
しかし、日本がアメリカの軍事戦略と無関係ではいられないということでもあります。
だからこそ私は怖いのです。
「日本は戦争をしていない」
「日本は戦争を望んでいない」
そう言っている間にも、世界では実際に戦争が起きている。
そして日本には、その戦争を行っている国の軍事基地が存在している。
それなのに、日本国内では災害への対応すら十分とは言えない。
原発事故の問題も終わっていない。
生活に困っている人もいる。
物価高に苦しんでいる人もいる。
それでも軍事費だけは大きく増えていく。
私は、この状況を見ていると、
「目の前で起こっていることは放置して、起きるかもしれない戦争にばかり備えているのではないか」
と思ってしまいます。
そして、もう一つ怖いのは、
責任の所在が曖昧になっていくことです。
災害が起きれば、「想定外」。
原発事故が起きれば、「安全対策を強化します」。
生活が苦しくなれば、「財源がありません」。
戦争が起きれば、「国際情勢が厳しくなった」。
そして、そのたびに私たちは「仕方がない」と受け入れる。
でも、本当に仕方がないのでしょうか。
もっと前にできることはなかったのでしょうか。
戦争も、突然始まるわけではありません。
少しずつ軍備を増やす。
少しずつ敵を想定する。
少しずつ相手を恐ろしい存在として語る。
少しずつ軍事的な協力を強める。
少しずつ「仕方がない」という空気が広がる。
そして気がついたときには、
「もう後戻りできない」
というところまで来ている。
私は、過去の戦争がどうやって始まったのか、ずっと疑問でした。
なぜ、もっと早く止められなかったのだろう。
なぜ、人々は戦争を望んでいないのに、戦争へ向かってしまったのだろう。
なぜ、「おかしい」と声を上げることができなかったのだろう。
でも今、目の前で起きていることを見ていると、
もしかしたら、戦争というものはこうやって始まっていくのではないか。
そんな恐ろしいことを考えてしまいます。
目の前の災害を十分に解決できていない。
生活に困っている人たちを十分に支えられていない。
それでも「国を守る」という言葉のもとで、軍事力だけが急速に拡大していく。
そして、「安全のため」「平和のため」という言葉によって、それが正当化されていく。
福島で私は、それと似たものを見ました。
「安全です」
「問題ありません」
「復興しています」
そう言って、不安を感じる人の声を小さくしていく。
今度はそれが、
「安全保障のため」
「国を守るため」
「平和を守るため」
という言葉になっているように感じるのです。
私は、戦争をしたくありません。
誰かを殺したくもない。
誰かに殺されたくもない。
そして、自分の大切な人たちにも、そんな思いをしてほしくありません。
だからこそ、
「戦争反対」と言うだけではなく、
なぜ今、この国がこの方向へ進んでいるのか。
何にお金を使い、
何を後回しにし、
誰と軍事的に協力し、
どんな言葉で私たちを説得しようとしているのか。
一つひとつを見ていかなければならないと思っています。
国を守るとは、ミサイルを増やすことだけではありません。
災害から人を守ること。
住む場所を守ること。
生活を守ること。
医療を守ること。
教育を守ること。
そして何より、
戦争に巻き込まれないための努力をすること。
それもまた、「国を守る」ということではないでしょうか。
私は今、とても不安です。
でも、不安だからこそ、目を閉じたくありません。
「そんなことになるわけがない」と言ってしまえば、きっと楽です。
けれど、歴史を振り返れば、そうやって「まさか」と思っている間に、社会は少しずつ変わっていったのかもしれません。
だから私は、今起きていることを見続けたい。
疑問に思ったことは、疑問だと言いたい。
おかしいと思ったことは、おかしいと言いたい。
そして、戦争へ向かう足音を聞いたとき、
「気のせいだった」
と自分に言い聞かせるのではなく、
その音がどこから聞こえてくるのかを、確かめ続けたいと思っています。
私たちが本当に守りたいものは、
国という名前そのものではなく、
その国の中で生きている、
一人ひとりの命と暮らしなのだから。

