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8.62026
わかなのブログvol13 暴力は、どこから生まれるのか ―原発事故が私に教えてくれたこと―
原発事故が起きてから、福島県では他県と比べても数多くの「暴力」が増えたと言われています。
DV、いじめ、自殺、依存症……。
暴力とは、必ずしも誰かを殴ることだけではありません。
他者へ向かう暴力もあれば、自分自身へ向かう暴力もあります。
私自身も、戦争反対、原発反対と言いながら、自分や誰かを傷つけてしまう時間がたくさんありました。
そして残念ながら、それは今も完全にはなくなっていません。
けれど、その暴力は原発事故から始まったものではありませんでした。
もっと幼い頃から、私の中にはありました。
私は、自分には何の取り柄もない人間だと思っていました。
勉強も運動も、人並みにできませんでした。
そんな私が初めて一筋の光を見つけたのは、小学五年生の頃、父方の祖父母と出会った時でした。
テストで良い点を取ると褒めてもらえる。
頑張るとお小遣いがもらえる。
今となれば「子どもを勉強させるための方法」と思われるかもしれません。
それでも当時の私にとっては、「勉強なら私にも道が開けるかもしれない」と思えた、大切な出来事でした。
そこから私は、いわゆる優等生を目指すようになりました。
競争社会の中で、良い成績を取ることが自分の価値なのだと思っていました。
ただ、私は物覚えがあまり良くありませんでした。
不注意も多く、ケアレスミスも多い子どもでした。
だから、人の何倍も時間をかけて勉強しなければなりませんでした。
それでも努力すれば結果が出る。
そう信じていました。
しかし、原発事故が起きてから、私は勉強がまったく手につかなくなりました。
成績はどんどん落ちていきました。
学年でも下位を歩くようになりました。
勉強へ向けるだけの力が、もう残っていなかったのです。
頭の中は、いつも原発のことばかりでした。
社会のことばかり考えていました。
唯一、自分の支えだった「勉強」ができなくなり、自分には何も残っていないように感じました。
親から認められることも少なくなりました。
私は家でも態度が悪くなり、両親も私への接し方に困っていたと思います。
もちろん、遅めの反抗期でもありました。
けれど、それだけではありません。
私は、大人という存在そのものを信じられなくなっていました。
合格発表をやめてほしいと校長先生へ伝えた先生がいました。
けれど返ってきたのは、
「そんなことをしたら俺の首が飛ぶ。」
という校長先生の言葉でした。
避難することを決めた私に、安全神話の本を差し出した先生もいました。
「お前が避難すると風評被害が広がる。」
そう言った先生もいました。
どれも福島の高校の先生たちの言葉です。
家でも同じでした。
ニュースや新聞の記事について話すと、
「子どもなんだから、大人の事情は分からない。」
そう言われました。
部屋で福島のことを考えて泣いていると、
「あなたが避難すると言ったんでしょう。」
「泣くな。」
そう言われました。
食卓には汚染地域の食べ物も並びました。
今になって思うのです。
先生にも先生の事情がありました。
親にも親の思いがありました。
それでも、あえて事実だけを並べてみると、私が思うことは一つです。
先生も親も、怖かったのだと思います。
現実を認めることが怖かった。
目の前で起きていることと向き合うことが怖かった。
だから、自分を守ろうとした。
安心できる情報だけを集めた。
誰かを責めることで安心しようとした。
「いつも通り」の生活を続けることで安心しようとした。
その結果、自分自身や誰かの気持ちを押し殺すという暴力を選んでしまったのだと思います。暴力は時に愛だという人もいます。お前を愛しているからこそ、こうするのだ、と。そして、相手が泣き叫んだとき、ごめんね悪かったもうしないから、といって優しくする。厄介なものですが、これが、よく言われるDVなのです。
一方で、私は目の前で起きている現実しか見えていませんでした。
視野はとても狭かったと思います。
けれど、「現実を見よう」とすることだけは、とても頑なでした。
だからこそ、私の存在は周りの大人たちにとって、
「不安をあおる子」
「一緒にいると疲れる子」
「面倒な子」
に映っていたのでしょう。
だから黙らせようとした。
「いつも通り」を守ろうとした。
私自身もまた、自己肯定感がとても低い人間でした。
勉強だけが自分を支えていた私は、その支えを失い、自分が何者なのか分からなくなりました。
親が私を見る目も、幼い頃の「何もできない子」を見る目へ戻っていったように感じました。
そして何より、私自身が私をそんな目で見ていました。
「私なんて。」
「どうせ。」
「でも。」
「だって。」
自己嫌悪と自己否定の中で、私は悲劇のヒロインになっていたのかもしれません。
そういう意味では、母が「泣くな」と言ったことにも、一理あったのだと思います。
母は、私の弱さを見抜いていたのでしょう。
ただ、私が泣いていた理由は違いました。
福島のことを思うと、悲しくて、悔しくて、苦しくてたまらなかった。
そして、自分自身を愛する理由まで失ってしまったから、泣いていたのです。
十五年という時間が過ぎました。
今は、自分のことも社会のことも、あの頃よりずっと客観的に見られるようになりました。
原発事故のあと暴力が増えたと言われるのは、誰にも言えなかった不安や恐怖を、安心へ変えようとして、その矛先を自分や他者へ向けてしまった人が増えたからではないかと、私は思っています。
だから私は、一人ひとりの中にある「正しさ」と「物語」に耳を傾けることが、とても大切だと思っています。
もちろん、それは「その人の正しさ」です。
絶対的な正解ではありません。
今日ここに書いたことも、私の物語です。
私が感じたことです。
同じ経験をした人が、同じことを感じるとは限りません。
だからこそ、お互いの物語に耳を傾けることが必要なのです。
「そんなふうに感じていたんだね。」
「そういう背景があったんだね。」
そうやって相手を理解しようとした時、私たちの中には初めて想像力が生まれます。
そして、
「では、これからどうしていこう。」
という創造力が生まれます。
私は、この想像力と創造力こそが、平和をつくる力なのだと思っています。
責任を取ることから逃げること。
現実から目を背けること。
自分の本音にも、相手の本音にも蓋をすること。
それを続ける限り、暴力は終わりません。
だから私たちは、過去から学ぶ必要があります。
そして何より、自分自身の中にある暴力に気づく必要があります。
世界を変えることは、とても大きなことのように思えます。
けれど、本当はそうではないのかもしれません。
自分の中にある恐れや不安と向き合い、自分の中の暴力に気づき、それを少しずつ手放していくこと。
平和とは、その積み重ねの先に生まれるものなのだと、私は信じています。

