お知らせ
12.62021
1996年 ベラルーシ科学アカデミー報告書(英語版)
チェルノブイリ原発事故から10年目、1996年、当時のベラルーシ科学アカデミーが英語版で報告書を出したもの、紹介させていただきます。
当時、チェルノブイリ原発事故の被害の扱いについて科学者たちは、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの科学者たちが、IAEA派と、アンチIAEA派にわかれて、意見がまっぷたつに割れていました。「小児甲状腺がんは放射能帰院ではない!」「移住させる必要は無い」などなど。
年間総被ばく線量1ミリシーベルトでの被ばく基準をもとにした「チェルノブイリ法」も旧ソ連が崩壊する直前につくられました。
しかし、IAEAの見解では、そんなに被ばくしていないんだ、過大評価だ、被害は放射能恐怖症なんだ、として、小児甲状腺がんの被害も認めませんでした。それらの意見は、原子力産業を擁護したいだけにしか受け止められませんでした。
当然、アンチIAEA派には、世界中の市民運動がサポートについて、小児甲状腺がんの子どもたちの治療のサポートなども始まっていました。
1996年のIAEA総会の前に、先に出た報告書であって、現場にいないIAEAがそれとちがう発表を下のならデタラメ、ということにもなるかと思います。
当時は、旧ソ連が崩壊して物のない時代。
手書きのグラフなどもあります。パソコンなどの機器類を寄付することは、禁じられていました。
物量のありあまってる日本の原発事故10年(現在2021年)よりはるかに詳しく調べられてるように思います。
科学者たちが、少しでも被ばくから国民を守りたい…科学者に国民を被ばくさせる数値を決める権利などなっていいのだろうか?という根本的な哲学がなければ、誰もお金持ちのIAEAと争う必要がなかったこと。
残念なのは、日本のヒロシマナガサキの被害のデータが不十分(初期被ばくのデータはすべてアメリカにある)で、チェルノブイリ事故のときに、IAEA派として被ばく容認に回っていたことではないでしょうか?
かなり専門的な内容もあり、それをロシア語から英語に翻訳したものをつくっています。
専門用語の英語への転換の責任は科学アカデミーにありますが、独裁政権が終了したら、あらめて聞いてみたい部分もあります。
今は、関わった人すべての名前を上梓することも一抹の不安もあります。もちろん多くの関係者は鬼籍に入ってしまっています。
日本語翻訳したものも、準備しておりますが、紙媒体にしたほうがいいと思っております。
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