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オーフス条約…日本もいつか…

昨年の8月、ベラルーシの大統領選挙の結果について、これは不正だ!ということで国民が抗議の声をあげました。

欧州最後の独裁と言われていたベラルーシですから、その抗議活動には、当然圧力が入ります。それでも形をかえて人々は抗議活動を続けています。殴られても、刑務所に入れられても、国外に放置されようとしても…。

とくに、ウクライナ国境につれいかれた、大統領候補チハノフスカヤさんのサポートを脇でしていた、マリアさんという女性は、国境で、パスポートをバラバラに破いて、国外に出ない!と宣言したため、刑務所に収監され続けています。

「言論の自由がない」ということ、が、どういうところに行き着くのか、今の日本人は、ほぼ、独裁政権下のようになってても、清々粛々と毎日を送ることに必死で気づかないのです。

誰もが悪意ないまま、名も無き独裁者の元の政治のようになっている。

日本は不思議な国です。独裁者なき独裁政権。

そんなベラルーシで、大統領選挙のあとに、新規建設された原発が稼働する予定でした。

周囲ぐるりが陸地のベラルーシです。

近隣諸国の不安や恐怖かいかほどか。

もちろん、国民は、言論の自由もなく、大統領の一声でつくられた原発です。反対することすら許されない。

あのチェルノブイリ事故で国土の4分の一が汚染され、辛酸をなめた国で。

でも日本も同じなんですよね。

結局は。あれだけの大事故を起こして、何食わぬ顔で(事故体質)再稼働を始める各電力会社。

ベラルーシと何が共通してるかというと、国民に原発を止めるシステムがない、ということです。

結局、裁判をしても、裁判官は上級国民ですから、原子力関係(もろ上級国民)、公平に裁ける立場にあるとみていいのかな?

しかも…国民どころか、総理大臣でさえ、原発を止める権限がない。

法律がない。

2011年のとき、浜岡原発を止めたのは、総理大臣からの命令では無く、「お願い」レベルのものだったのです。

総理大臣の上に原子力発電がある。格のごみは作り放題、勝手に稼働はする。国民の分際で原発の稼働に口を出すな、意見を言うな!だけど、格のごみだけは、自分らで議論しろ!という。

NPOがこれに意見を言ったら、政治的中立を犯した罪ですかね?

そうなってみてはじめて、私たちは、ベラルーシに酷似してる状況だと見えてくるのかもしれません。

さて、ベラルーシの近隣諸国が、ベラルーシに対して、苦言を呈する根拠として「オーフス条約」を広げる活動をしてるからです。

オーフス条約、というのは、3つの理念からなりたっています。

環境に関する、

①情報へのアクセス、

②意思決定への参画、

③司法アクセス(裁判を受ける権利)を、NGOを含めた全ての市民に保障することを目的として、各締約国が、市民に保障しなければならない最低限の国際的基準を定めています。

以下用語解説

【正式名称は「環境に関する、情報へのアクセス、意思決定における市民参加、司法へのアクセスに関する条約」。リオ宣言第10原則(市民参加条項)を受け、国連欧州経済委員会(UNECE)で作成された環境条約。1998年6月に開催されたUNECE第4回環境閣僚会議(デンマークのオーフス市)で採択されたことに因んで、オーフス条約と呼ばれている。

情報へのアクセス、政策決定過程への参加、司法へのアクセスを3つの柱とし、それらを各国内で制度化し、保障することで、環境分野における市民参加の促進を促すことを目的とした条約。2001年10月に発効。2004年現在、締約国はUNECE加盟国を中心に30カ国。2003年5月には同条約第5条9項に従い、PRTR議定書が採択されている。日本は未締結。】

グリーンアクセスプロジェクト

さんからの資料を一部紹介させていただきます。

日本では、大型環境破壊系プロジェクトは、企業と自治体の許可によって始まってしまえば止める手立てがないですよね。たとえば、沖縄の辺野古の基地建設でも、あのような綺麗な海に、土砂を投げ込むような工事、あるいは、東京の地下のトンネルを掘って、住宅地の地盤沈下(大きな穴があいたり)。目に見える環境破壊が起こってるのに、それ中止してほしい!と意見をいうことができません。

その地域に住む人たちにとって、心地良くない開発が行われることがあっても意見を言う権限がない。ある日突然街路樹が伐採されまくっていたり、あるいは低周波問題のある風車の群落企画、メガソーラーのための、はげ山づくりなどなど。昔は知床で伐採反対のために、1平方メートル地主運動のようなことがありましたが、地権者でなければ意見を言えない…という時代でした。今も日本は続いています。

日本では、このようなもんだいを「中立」であるように暗黙の圧力がかけられます。

NPO法がいい例ですね。ようは、中立ということは、何も言うなということです。実際何もいえないのですから。

しかし、気候変動が激しくなってきてる時代にとって、環境破壊をすることは、私たちの生態系の寿命を縮めることにほかなりません。

原発賛成反対、核ゴミ賛成反対でさえ、表現が間違ってるのです。

それは、人間も生き物の一部であって、生存本能が「マズいぞ」って叫んでるとき、政治的立場など関係ないのです。

津波が来ます、逃げてください、イヤ私は逃げない、その選択が10年前の東日本大震災のときにあったことを思い出してください。そのとき中立ってありましたか?

その人の生存本能に従った結果がそれぞれにありました。

それは説明がつかないものなんです。しかし、確実に瞬間の判断で、命の明暗がわかれました。

環境破壊について、生存本能が「イヤだな」「おかしいな」と感じてること、その事業を進めるのちょっとまったあ、と叫ぶことは、意見の違いをうみ、地域を「分断した」と責められる、という面倒に巻き込まれることも日常です。

原発だって最初は福島でも反対していた人たちがたくさんいました。

津波で壊れた…などは言い訳で、そもそも地震が来るようなところに建てるなよ…という声を聞いておけば、事故などなかった。反対は、生存本能であり、反対派の人たちを賛成派の人たちと同じ意見にしたいというのも、異論をきらう日本病です。そういう人たちと一緒に死にたくない!と言ったらダメなのか?

いろんな人の声を排除する、NPOに政治的意見を言わせない、ジャッジは誰がしてるのかわからないそういう真綿でくるんだような言論封じは後ろから行われてる日本。ベラルーシは前も後ろも覆面警察がやってきてぶったたきますが、人々はもう「黙ってるのを辞めた」と言います。

黙ってられるうちは黙ってるでしょう。けれど、もう死ぬかもな…と思ったとき、逃げ場がなければ闘うしかない。

それが今のベラルーシですが、日本人はみな一家心中とかになっていくのかな。利根川で。

政治的中立という仮想空間にいつまでいるか?

しかし、世界はそのような「たこつぼ感性」は持ってないので、条約締結国を増やし、環境問題に市民がアクセスできるようにして環境を守っていこうあきらめないで努力を続けています。

司法へのアクセス権。被害当事者でなくても、司法にアクセスできる…考え方。(総括的)

オーフス条約・日本弁護士連合会

NPOは政治に関わるな、中立でいろ、そういう時代錯誤の国で、オーフス条約までたどりつけるのか…。

26年間独裁だったベラルーシの人たちが、大統領選の不正疑惑で、まったく変わってしまったことを思えば、民主化というのは、意外に一瞬で起こるのかもしれません。

生存本能が危険信号を出してるだけだ。

確かに多数の人の意見を聞いたら、大規模開発なんてできないからね。

ベラルーシの原発に関しては、オーフス条約に違反してると言われています。

もちろん、え?そんな条約にめずらしく参加(批准)していたのね?

だって、近隣諸国の環境破壊にはベラルーシも苦言を言えますもんね。

アジアにもまた、同じ流れが起こってくるでしょう。

韓国、日本、中国、などなど。

国境を越えた環境に影響を与える何か、地権者でなくても、それちょっと待った!といえる権利を確立していく闘い。

参加国の地図

 

 

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