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8.222026
わかなのブログ vol.17 見えない暴力と、私たちはどう向き合うのか──構造的暴力という視点から考える原発事故
暴力という言葉を聞くと、多くの人は殴る、蹴る、怒鳴るといった直接的な行為を思い浮かべるかもしれません。
けれど、暴力にはもう一つの形があります。
それは、誰かが目の前で手を上げるわけではないのに、人の健康や尊厳、未来への希望を少しずつ奪っていく暴力です。
平和学では、それを「構造的暴力」と呼びます。
社会の仕組みや制度、政治や経済のあり方によって、人が安心して生きる権利を十分に守られない状態。
誰か一人が加害者ではない。
けれど、その構造の中で、苦しみ続ける人が生まれてしまう。
私は、東京電力福島第一原子力発電所事故を経験して以来、この「構造的暴力」という言葉が胸に残るようになりました。
私は福島県伊達市で十五歳のとき、原発事故を経験しました。
事故は一日で終わった出来事ではありません。
十五年近く経った今も、その影響は終わっていません。
放射線は目に見えません。
匂いもありません。
だからこそ、「本当に大丈夫なのか」という問いは、事故を経験した人たちの心から簡単には消えません。
私たち若い世代は、多感な時期にその不安とともに生きてきました。
友達と遊んでいても。
進路を考えていても。
恋愛をしていても。
結婚や出産を考えるようになっても。
どこか心の奥に、「放射線」という見えない存在があり続けました。
その不安は、人によって大きさが違います。
もう気にしていないという人もいます。
今でも強い不安を抱えている人もいます。
どちらが正しいという話ではありません。
同じ事故を経験しても、受け止め方は人それぞれだからです。
けれど、事故が私たちの人生に大きな影響を与えたことだけは、変わらない事実です。
事故のあと、福島では甲状腺検査が続けられ、多くの子どもたちや若者が甲状腺がん、あるいはその疑いと診断されてきました。
その原因については、現在もさまざまな研究や見解があります。
原発事故との関連を指摘する研究者もいれば、過剰診断など別の要因を重視する専門家もいます。
だから私は、その因果関係をここで断定することはしません。
けれど、一つだけ確かだと思うことがあります。
それは、子どもたちが病気と向き合い、不安を抱えながら生きているという現実です。
手術を受けた子どもたち。
定期検査を続けている若者たち。
「自分の将来はどうなるのだろう」と考えながら成長した世代。
その苦しみは、数字だけでは語ることができません。
私は、それもまた構造的暴力の一つではないかと思うのです。
事故を起こしたのは子どもたちではありません。
それなのに、長い年月にわたって不安を抱え続けるのは、その子どもたちです。
これは、誰か個人を責めたいという話ではありません。
社会の仕組みの中で、一番弱い立場の人たちが、その影響を受け続けてしまうことに、私は深い痛みを感じています。
原発事故は、放射線だけを残したわけではありません。
トラウマも残しました。
トラウマとは、「過去の出来事を忘れられないこと」ではありません。
今もなお、安心して生きられない状態が続いてしまうことです。
ニュースを見るたびに胸が苦しくなる。
地震速報が鳴るたびに体が固まる。
「原発」という言葉を聞くだけで当時の記憶がよみがえる。
そうした反応は、決して弱さではありません。
心が生き延びようとした証です。
だからこそ、トラウマを抱えた人に「もう忘れなさい」と言うことはできません。
必要なのは、「忘れること」ではなく、「安心を取り戻せる社会」をつくることだと思います。
そんな中で、私は国が原発の建て替えや新たな原子力政策を進めようとしていることに、強い葛藤を覚えています。
エネルギー政策にはさまざまな考え方があります。
脱炭素や電力の安定供給、安全保障など、多くの課題があることも理解しています。
だから、異なる立場の人を否定したいわけではありません。
けれど、原発事故を経験した一人として、「本当に私たちはあの経験から学んだのだろうか」と問いかけずにはいられません。
事故によって故郷を失った人がいます。
家族が離ればなれになった人がいます。
心に傷を抱えた人がいます。
健康への不安を抱えながら生きている人がいます。
その現実が続いている中で、新しい原発を考える社会に、私は複雑な思いを抱きます。
私が目指したいのは、誰かを責める社会ではありません。
「賛成か、反対か」で人を分断する社会でもありません。
私が向き合いたいのは、「安心して生きられる社会とは何か」という問いです。
構造的暴力は、私たち一人では変えられません。
けれど、その存在に気づくことはできます。
苦しんでいる人の声に耳を傾けることはできます。
「自己責任」という言葉で切り捨てないことはできます。
想像力を持つことはできます。
社会は、人がつくっています。
だから、社会は人の手で変えていくこともできます。
私は、絶望だけを書きたいわけではありません。
希望についても書きたいのです。
原発事故を経験しても、人は誰かを思いやることができます。
傷ついたからこそ、傷ついている人の気持ちが分かることがあります。
苦しみを知ったからこそ、「安心」を大切にできるようになります。
それは決して事故があって良かったという意味ではありません。
苦しみの中でも、人は希望を育てる力を持っているということです。
構造的暴力から抜け出す第一歩は、「仕方がない」と諦めないことではないでしょうか。
社会の仕組みは、人がつくったものです。
人がつくったものなら、人が変えることもできます。
一人では難しくても、声を上げる人が増えれば、社会は少しずつ変わっていきます。
私は、安心して生きられる社会を諦めたくありません。
未来に希望を持てる子どもたちを増やしたい。
誰もが「生まれてきてよかった」と思える社会を残したい。
その願いは、決して特別なものではありません。
人が人として生きるための、ごく当たり前の願いです。
だから私は、これからも問い続けたいと思います。
本当に守るべきものは何なのか。
本当に豊かな社会とは何なのか。
そして、一人ひとりが安心して生きられる社会を、私たちはどうすれば共につくっていけるのか。
その問いを持ち続けることこそが、構造的暴力から抜け出すための、小さくても確かな一歩になると私は信じています。

