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10.312026
わかなのブログ vol37「国の責任は極めて重い」と言うなら、その責任とは何なのか
先日、細野復興大臣と笹川環境大臣が福島県を訪問したというニュースを見ました。
その中で、細野大臣から、
「国の責任は極めて重い」
という言葉が出ていました。
この言葉を聞けたこと自体は、私はとても大きいことだと思いました。
「国の責任は重い」
この言葉を、私は久しぶりに聞いたような気がします。
福島第一原発事故から15年。
事故によって、たくさんの人の生活が変わりました。
故郷を離れた人。
仕事を失った人。
家族との暮らしが変わった人。
今も甲状腺検査を受けながら、「今回は大丈夫だろうか」と思いながら生きている人。
そして、廃炉も終わっていません。
汚染されたものをどうするのか。
除去土壌をどうするのか。
核のごみをどうするのか。
これから何十年、何百年という時間をかけて考えなければならない問題が残っています。
だから、
「国の責任は極めて重い」
という言葉を聞いたとき、私は少しだけ救われるような気持ちになりました。
でも、その一方で、どうしても思ってしまう。
では、この15年間、その「国の責任」を、国は果たしてきたのでしょうか。
再稼働があります。
事故の被害がまだ続いている中で、原発を再び動かしていく。
除去土壌の問題もあります。
これまで管理してきた土を、今度は「復興再生利用」という形で、別の場所で利用していくことが進められています。
そして、核のごみ。
何万年という時間を考えなければならないものを、私たちはどうするのか。
これらを見ていると、
「事故の責任を取る」
ということが、一体どういうことなのか分からなくなります。
謝ることなのか。
お金を払うことなのか。
廃炉を進めることなのか。
それとも、
二度と同じことを起こさない仕組みをつくることなのか。
私は、最後のところまでやって初めて「責任」なのではないかと思います。
そして、ここで少し気になったことがあります。
今回の環境大臣は、笹川博義さんです。
「笹川財団」という一つの組織の人、というわけではありません。
笹川博義さんは政治家であり、現在は環境大臣と原子力防災担当大臣を務めています。(環境省)
ただ、笹川という名前を聞くと、私はどうしても、その背景にも目が向きます。
笹川良一さんによって設立された日本財団は、災害支援、福祉、障害者支援、子どもへの支援、海洋問題など、さまざまな活動をしてきた大きな公益財団です。
たとえば、チェルノブイリ原発事故の後には、住民の健康問題について医療協力も行っています。(日本財団)
小学生にも分かるように言えば、
「国とは別の場所にある大きな民間の団体で、お金や人を使って、社会の困りごとを助けたり、仕組みを作ったりしてきた組織」
というイメージです。
だからこそ私は、
「人を助ける」
「社会の問題を解決する」
ということを掲げてきた背景を持つ人が、今、原発事故後の環境や福島の問題を担当していることについても、考えてしまいます。
そして今、笹川環境大臣が福島を訪れています。
そこで、
「国の責任は極めて重い」
という言葉が出てきた。
それならば、私は聞きたい。
その責任を、これからどう果たしていくのでしょうか。
再稼働についてはどうするのか。
汚染土についてはどうするのか。
核のごみについてはどうするのか。
廃炉についてはどうするのか。
そして、事故によって人生を変えられた人たちについては。
裁判でも、原発事故をめぐるさまざまな責任が問われ続けています。
でも、司法の場で争うことだけでは、事故によって失われたものが元通りになるわけではありません。
故郷に戻れなかった時間。
家族と過ごせなかった時間。
子どもだった私たちが抱えた恐怖。
「これからどうなるんだろう」と思いながら過ごした日々。
そういうものは、賠償金の金額だけでは測れません。
だから私は、
「国の責任は極めて重い」
という言葉を聞けたことを嬉しく思う一方で、
「では、その責任とは何ですか?」
と問い続けたい。
言葉だけではなく、
何をするのか。
何を変えるのか。
何を二度と繰り返さないのか。
そこまで見せてほしい。
事故から15年。
私たちはもう、
「国の責任は重い」
という言葉だけを聞いて安心できるほど、何も知らない人間ではありません。
私たちは、実際に事故を経験しました。
そして今も、その後始末の中で生きています。
だからこそ私は思います。
責任を認めることは、責任を果たすことの始まりでしかない。
「国の責任は極めて重い」と言うのであれば、
その言葉に見合うだけの責任を、これからどう果たしていくのか。
私は、それを見ていきたいと思います。

