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9.122026
わかなのブログvol.21 私が願うのは、「戦う国」ではなく「命を守る国」です。
熊本で大きな地震がありました。
被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
ニュースを見ながら、私が真っ先に思ったことがありました。
それは、「熊本にも長射程ミサイルが配備されていた」ということです。
熊本だけではありません。
今、日本各地で、防衛力強化の一環として、自衛隊基地の機能強化や長射程ミサイルの配備が進められています。
そんな中で起きた今回の地震。
そして地震当日には、福岡で自民党福岡県連関係者による集会が開かれ、防衛政策について「やってよかった」と受け取られる発言が報じられました。
そのニュースを見た時、私はどうしても複雑な気持ちになりました。
もちろん、この世界情勢の中で、安全保障について考えることは必要なのだと思います。
「国防も大切だ。」
そう考える人がいることも理解しています。
実際に、「防災だけではなく、国防もどちらも大切だ」という意見もあります。
私も、その考え方そのものを否定したいわけではありません。
でも、福島で原発事故を経験した一人として、どうしても思ってしまうのです。
本当に今、この国が最優先で力を注ぐべきことは何なのだろう、と。
日本は世界有数の災害大国です
東日本大震災から15年以上が経ちました。
その間にも、
熊本地震、
北海道胆振東部地震、
西日本豪雨、
能登半島地震、
そして再び熊本での大きな地震。
日本は、この15年だけを見ても何度も大きな災害を経験してきました。
だからこそ私は思います。
これだけ多くの災害を経験してきた国なのに、本当にその教訓は生かされているのでしょうか。
避難所の環境は、本当に改善されたと言えるのでしょうか。
避難所によって状況は異なりますが、今なお段ボールベッドが十分に行き渡らず、体育館の床で毛布や薄いマットだけを敷いて生活を余儀なくされる方もいます。
プライバシーが確保されず、安心して身体を休めることも難しい避難所があります。
高齢者も、小さな子どもも、障害のある方も、妊婦さんも、それぞれが不安を抱えながら避難生活を送っています。
さらに近年では、避難生活の中で性暴力や性被害が問題となり、緊急避妊薬(アフターピル)が必要となる現実も明らかになりました。
私は、この現実を知った時、本当に言葉を失いました。
災害によって家を失い、大切な人を失い、不安の中で暮らしている人たちが、さらに性暴力の危険にさらされる。
そんなことが、あっていいのでしょうか。
そして、近年は毎年のように猛暑が続いています。
それでも、夏の大規模災害を想定した避難所の暑さ対策や空調、衛生環境、熱中症対策は十分と言えるでしょうか。
避難所は、人の命を守る場所であるはずです。
安心して眠れる場所であるはずです。
身体だけではなく、心も休められる場所であるはずです。
それなのに、その場所でさえ、人としての尊厳や人権が十分に守られているとは言えない現実があります。
私は、この状況を「仕方がない」と受け入れることはできません。
「責任を取る」ということ
福島第一原発事故を経験した私には、もう一つ、ずっと引っかかっていることがあります。
チェルノブイリ原発事故のあと、旧ソ連、そして現在のウクライナでは、被災者への医療や健康管理、移住支援などについて国が責任を負う法制度が整備されました。
一方、日本でも原発事故後にさまざまな支援制度はつくられました。
しかし、その対象や運用をめぐっては多くの課題が指摘され、「国が最後まで責任を負っているとは感じられない」という被災者の声があることも事実です。
私自身も、災害が起きた時、誰が責任を持ち、誰が被災者を最後まで支えるのか、その仕組みは本当に十分なのだろうかと考え続けています。
責任が曖昧な社会であってはいけない。
私はそう思っています。
「国を守る」とは何でしょうか
私は、防衛が必要ないと言いたいわけではありません。
ただ、日本は世界有数の災害大国です。
毎年のように地震や豪雨、台風、猛暑に見舞われています。
だからこそ、まずは災害から命を守る体制を世界一充実させることが、この国にとって最優先ではないかと思うのです。
人を傷つける準備よりも、人を守る準備を。
私は、その言葉を何度でも伝えたいと思います。
ここ数年、日本は海外への支援や国際協力にも積極的に取り組んでいます。
困っている国を支えることは、とても大切なことです。
だからこそ同時に、自国に暮らす人々の命と暮らしを守るための備えにも、十分な力を注いでほしい。
「財政が厳しい」という言葉を理由に、防災や避難所環境の整備、人々の暮らしを守る政策が後回しになるようなことがあってはならないと思います。
日本だからこそできることがある
日本は、世界で唯一の戦争被爆国です。
広島と長崎で原子爆弾を経験しました。
そして福島では原発事故を経験しました。
さらに阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震をはじめ、数え切れないほどの自然災害を経験してきました。
これほどまでに多くの悲しみを経験してきた国だからこそ、世界へ伝えられることがあるのではないでしょうか。
戦争の悲惨さ。
放射能災害の苦しみ。
震災からの復興の難しさ。
そして、命を守ることの大切さ。
私は、日本だからこそ語れる言葉があると信じています。
平和憲法の理念を大切にしながら、武力だけではなく、人の命や尊厳を守ることを世界へ発信できる国であってほしい。
それが私の願いです。
私が願う未来
私は、この国を否定したいのではありません。
むしろ、この国が好きだからこそ、もっと良くなってほしいと願っています。
防衛か、防災か。
その二つを対立させたいわけではありません。
ただ、災害大国である日本だからこそ、まずは自国に暮らす人の命と尊厳を守ることを、政治の最優先に据えてほしいのです。
被災しても安心して眠れる避難所があること。
子どもも、高齢者も、障害のある方も、誰もが「ここなら大丈夫」と思える場所があること。
原発事故や震災の教訓が、次の世代の命を守る政策として確実に生かされること。
それこそが、本当の意味で「国を守る」ということなのではないでしょうか。
私が願っているのは、「弱い国」ではありません。
誰かを傷つけることで強さを示す国でもありません。
一人ひとりの命を守ることに誇りを持てる国。
人権が大切にされる国。
そして、悲しみを経験してきた国だからこそ、その経験を世界の平和へとつなげられる国。
私は、そんな日本を心から願っています。
この国には、もっとやるべきことがあります。
災害で苦しむ人が安心して暮らせる社会をつくること。
子どもたちが未来に希望を持てる社会をつくること。
命を守ることを、何よりも大切にする政治を実現すること。
私は、その未来を諦めたくありません。
だからこれからも、一人の福島の被災者として、一人の日本人として、学び続け、考え続け、そして伝え続けていきたいと思います。

