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6.242026
わかなのブログVol.6 運動も、憲法も、そして私もあなたも――歴史が紡ぎ出したもの①
私が「自分を大事にすること」に目を向けるようになったのは、原発事故があってからです。
講演会で、私が死の淵に立った時のことを話すと、ときどき聞かれることがあります。
「わかなさんは、どうやってあの時、死の淵から生きようと思えたのですか?」
「そこには何があったのですか?」
と。
私があの時、そもそも死の淵に立ったのには、いくつか理由がありました。
けれども、一番大きかったのは、自分自身を失った感覚でした。
そして、
「この世に愛はあるのか」
という問いでした。
愛だの何だのと言うと、この国ではどこか居心地の悪そうな顔をする人もいます。
けれども私にとって、「愛」はとても身近なものでした。
それだけ平和な世界、恵まれた世界の中で生きてこられたということなのかもしれません。
しかし今となっては、やはり根本的な愛は欠落していたのかもしれないとも思います。
原発事故のあと、私は社会の中にある「嘘」に気づいてしまいました。
大人たちは、目の前にある放射能や原発事故の恐ろしさに目を向けませんでした。
逃げる人、不安を感じる人に向かって、
「非県民だ」
「非国民だ」
「放射脳だ」
「風評被害を広げるな」
と指を差しました。
「仕方がない」
という言葉の裏で、おかしなことをおかしいと言わない、言えない社会なのだということを、私は身をもって知りました。
それは親もそうでした。
先生もそうでした。
国の役人もそうでした。
本にも書きましたが、私はあの時の空気を、まるで戦時中のようだと思いました。
もちろん戦時中を生きたわけではありません。
けれども、そう感じたのです。
そんな中で、私の救いになったのはTwitterでした。
福島での経験を発信しているうちにフォロワーが増え、
「そんなことがあったの?」
「体調は大丈夫?」
と声をかけてくれる人たちが現れました。
見ず知らずの人たちが、私の話を聞いてくれました。
それはとても大きな救いでした。
しかしその一方で、身近な大人たちは、まるで福島のことなど最初からなかったかのように日常へ戻っていきました。
私は一人だけ、重たい空気の中に取り残されたような感覚で生きていました。
命を大切にしたい。
核はもう使ってはいけない。
友人たちを置いてきてしまった。
東電や国への怒り。
私の怒りは、命を大切にしたいという思いから生まれた怒りでした。
それは、戦争を目の前にして、大切な人の命が散っていくのを見て見ぬふりする人たちへの怒りと、とてもよく似ていました。
不条理でした。
命を大切にすること。
それは愛そのものです。
だとしたら、今の世界に愛はあるのでしょうか。
愛がこんなにも少ない。
私は愛されているのでしょうか。
そんな問いを何度も繰り返しました。
愛されていなかったら、親は避難を決断しなかったはずです。
けれども避難したあと、
汚染地域の野菜を使う。
太平洋側の海産物を買ってくる。
「ここは大丈夫だから」と言う。
不安を抱える私に、
「そんなことで泣くな」
と言う。
親は前へ進みたかったのだと思います。
でも、私は進めませんでした。
不安だ。
怖い。
嫌だ。
そう言えませんでした。
けれども、それは命の叫びでした。
私は生きていくのが辛くなりました。
死のうと思いました。
けれども、死のうとした時、私は死ねませんでした。
ふと浮かんだ言葉がありました。
「わかなさん、死んじゃダメだ」
当時好きだった人からメールでもらった言葉でした。
私は生きたかったのです。
なぜなら、愛がほしかったからです。
死ねないのなら、どうやって生きていけばいいのだろう。
そこから私の人生は変わりました。
死ぬための生活ではなく、生きるための生活が始まったのです。
私は私を愛する。
私は私を愛したい。
その思いがあったからこそ、私はあの時踏みとどまることができたのだと思います。
今振り返ると、あの日からずっと私は、「生きる」ということを学び続けているのかもしれません。

