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4.242026
チェルノブイリ40年を乗り越えて #チェルノブイリ40
4月20日、チェルノブイリを乗り越えて~追悼と友好~
という企画が無事終了し、少しご報告させていただきます。
私たち、チェルノブイリへのかけはし…が救援してきたのは、主にベラルーシ。
チェルノブイリの子ども基金からのこれまでの活動報告や沖縄での福島の子どもたちの保養などのお話をいただきました。
フォトジャーナリストの広河隆一さんが、切り開いた救援の道のうしろを、私たちはたどってきたとも言えます。
ベラルーシの臨時代理大使の講演では、とてもうれしいお話がありました。
1986年の汚染地図と2026年の汚染地図の比較です。
チェルノブイリの子どもたちを保養してるときはこの汚染地図をながめてはため息をついていました。
そこからさまざまな悲しみが派生していましたから。
しかし
40年待つ…という科学的対処によって、ここまで減少したんだな…というのがよくわかり、とってもうれしくなりました。
左の地図をみれば、大きな面積をしめていた黄色のエリア(1~5キュリー、国による健康管理)が、40年経過して、ぐっと減っているのがわかりますね。
そして、薄いオレンジ色(5~15キュリー、いわゆる移住の選択)に減ってるのがよくわかります。
セシウムが30年で半減するといいますが、本当のことだったんだ(笑)。
どこか科学者の言うことにもぬけがありますので。
濃い赤は、15~40キュリーで、居住禁止エリが。これも薄いオレンジにうつりかわっていってます。
紫色は事故初期からの立ち入り禁止区域ですが、それもずいぶん減ってきたのだと。
日本のように、空間線量ではなく、土壌中の放射能を計測しての報告なので、信頼できる話です。
これはとてもうれしいお話でした。
この日は追悼…という一つの思いも込められていて。
これはやはり、チェルノブイリの消火作業にあたられた方々への慰霊の思いですね。
大使はハッキリと多くのかたが、のちに犠牲になったとおっしゃられていました。
だから、旧ソ連では、「除染作業」は必要最小限にとどめて、放射能を減衰するのを待つ…という方向性を選択しました。
除染する人の健康被害を解明する科学と医学があったと言えます。
それを無視しない倫理と道徳も、世界中から独裁と非難されていた旧ソ連が、チェルノブイリ法をつくって守ったのですから、第三者の評判というのはいかにあてにならないものか。
それすら、日本で事故がおこって脚光をあびたわけで、とうのベラルーシの汚染地の国民は1ミリで健康管理…という政策ですら、やはり不満の元になっていました。
日本では、事故の処理作業者の健康被害は一人も起こっていないんでしょうか?
なんでも問題が消えてなくなる不思議な国です。
ウクライナのチェルノブイリ博物館の展示

チェルノブイリの消火作業にかけつけて、なくなったのは28名とかそういう少ない人数が公式的発表です。
しかし、博物館にはこうして、犠牲になった一人一人の消火作業員の顔写真が展示されていました。

ワシーリ・イグナチェンコさんの墓碑
このかたはいちばん最初にかけつけた消防士さんで、モスクワの病院に運ばれて、誰も近寄れないなか、妻がかいくぐってあいに行った話が「チェルノブイリの祈り」に紹介されています。そこで、ご主人の身体がはれあがっていて、棺に入れたとき靴を履かせられなかったと。彼女の夢の中に出てくるご主人がはだし…というくだりには、何度読んでも涙が出てきます。
自分の夫がそんなめにあったら、どうやって残りの人生を送っていけるんだろう…。
私たちが、保養に招待していた子どもたちもある時期、なぜか母子家庭が多く、50%近くだったときがあり、聞いてみると、お父さんがみな消火作業にたずさわり、のちに体調を壊し亡くなったと。
チェルノブイリ40年の土台には、こうした犠牲になった無名のかたがたがたくさんおられる…。
もちろん、現地に入って、土壌を採取して分析していた科学者たちも…。
日本で原発事故がおきて、連絡をとってみたら、彼岸へ行かれていた方が多いです。
そういう意味で、40年の追悼…
国際文化交流舞踊団「曼珠沙華」は日本国内より海外の救援団体などでのほうが有名かもしれません。
ボランティアで、市民団体から要請があって、公演活動を行っています。
この日は、ベラルーシ公演でベラルーシの方が大好きで、また慰霊の気持ちに通じえる演目を選んで、踊っていただきました。
ビデオカメラでチャレンジしたのですが、どうしても、動きを追うのはむずかしく写真で
これは1999年にはじめて慰問公演していただいたとき、お別れのシーンの写真です。
救援活動しているときは、子どもたちのふるさとで、いつもこんなバーブシカ(おばあちゃん)たちに道端で会いました。
子どもたちは救援の対象になっても、なかなか、街の人にはアプローチすることはできないのですが。
慰問公演だと多くの方につながれました。
この40年、本当に一緒に歩んでこられた、生き抜いてこられたベラルーシの友人たちとともに、エールを送りたい気持ちで会場にいました。
当日、会場に足をお運びいただいたみなさま、発表、講演、公演をしてくださったみなさまにこの場を借りてお礼を申し上げます。
最後に…

鈴木宗男参議院議員らしい形式ばらない電報もいただきました。
国家の外交の糸をすべて断ち切ってしまう愚かなことを、いま日本はしていますが、40年はぐくまれた友情は見えないかけはしになってるんじゃないでしょうか?
見えないものは壊せないですから。








