BLOG
12.312025
ああ無情、シャベール警部
「ああ無情」という子供向けのお話を読んだとき、子どもながらに、つらいお話だと思いました。
パンひとつ盗んで、15年の懲役、脱獄するけれど、シャベール警部という人が、執念をかけて追いかけて続けます。
もちろん脱獄はいけないのですが、途中で、教会の神父さまにあい、主人公ジャンパルジャンは、成長していきます。
市長になって、市民に善政をほどこしたり、人助けをしたりしてる、主人公を、おまえは脱獄したのだ…あいつなのでは?とジャベール警部は追いかけていく。
子どもながらに、もどかしい思いをもちます。
そして、当時、「ベルサイユのばら」というマンガが、宝塚歌劇団の公演もあり、日本中で、若い少女たちを熱狂させました。
マリーアントワネットという、女王が、断頭台の露と消えていく。
その悲劇と、パンひとつでにげまどうジャンパルジャンは、コインの裏と表ですよね。
ベルサイユ宮殿では、ルイ14世が太陽王とよばれ、この世の贅をあじわいつくしてる。
政治家がそのように、国民をかえりみないのですから、国民は飢えて、苦しみ、犯罪を犯すまで追い込まれるけれど、法は残酷なまでに厳しい。
しかし、国家は、「法」によって、動いてる。
そのあまりのひどさに、とうとう市民革命がおこり、貴族や王族たちが次々に、ギロチンにかけられていきます。
「ああ無情」というタイトルの意味は、子どものころ、わかりませんでした。
シャベール警部よ、あんた、無情だね、という言葉がようやく出てくる。
他に逮捕する犯罪者もたくさんいるだろう。
しかし、シャベール警部に見えないのは、市民が食べていける環境にない原因をつくってるのは、悪政のせいなんだということ。
悪政を裁く法律がないわけですよ。
あくまで、弱者の上にたって、弱者を教育するのは自分なんだと、いきってる。
なぜこの話なの?と思うのは、総理大臣のお友達だったレイプ犯を逮捕直線で逮捕とりやめになった事件。
BLACK BOX DIARIES
という映画の中で使用されてる、ホテルのカメラの映像を許諾なしに使用した!人権侵害だ…として、映画作成者の伊藤詩織さんをうしろから撃つ意見を聞いていて、ふとその話を思い出しました。
へ~、人権侵害ね~。そうですか?
「人権とは?」
実は、チェルノブイリの子どもたちを保養に連れてくることが「差別だ」と批判されていました。
なんで?
汚染地域の子どもを全員連れてこられないから。
保養に出た子だけが健康になって、保養に出られなかった子が病気で死んだら、差別になるという。
じゃ、どうしたらいいの?
というと
・病気になったら薬を送るか医療援助(病気になるまで何もしないのか?)
・死ぬときはみんな一緒に死んだほうがいい
で、まじで、このように、人権にもとづいて、保養を反対した意見は、ありました。
また、子どもたちをどうやって選んでるのか?
「高級官僚の子どもたちが来てるに違いない」といううわさを流されたのも、驚きました。
汚染地域に住んでる子どもたちは、貧しい農村の子どもたちばかり。
そもそも、チェルノブイリ法があるので、移住していく人が多く、取り残された人々というのは、移住に対してちゅうちょするような事情のある人たちばかりです。
親がアルコール依存症だったり(しかも重度の)、あるいは子だくさんだったり、あるいは障害を持たれていたり。
汚染地域に、高級官僚は住んでいませんから。
そして…活動してる中で
一度、来た子で、もう一度、招待してあげたい…という思いを持つ里親さんも、現れました。
これはほんとうに気持ちがよくわかるんです。
たとえば、ほかの子より体調が悪かったり、あるいは、汚染地に戻すのがもどかしい、せめてもう一度、北海道で保養させてあげたい。
けれど、どうでしょう?
私たちは、人権市民警察(なんだか知らないが、市民運動を配下において、行動をチェックするナゾの人々がいる)から、子どもたちを差別してるのではないか?
と、見張られています。
日本で原発事故が起きるまで、このシャベール警部はずっと私たちのことを差別者扱いしてくれてました。
結局、この問題は、保養運動内部でも議論が分かれました。
確かに汚染地にはたくさん子どもがいるのだから、同じ子どもをよぶのは問題だ!
でも、一度、保養した子のさまざまな状況を知って、もう一度保養によぶ気持ちもわかる!
いろんな気持ちや考え方の相違を、まとめることがとうてい無理だと思って、それぞれの地域で決めて、それぞれ別に活動する…ということを選びました。
何せ、私たちの活動は、募金で行っているので、理解を得られなければ、活動が続かないのです。
だから、違う考え方が出てきて当然でした。
札幌の事務局を中心として、私たちの出した結論は、「二回目同じ子を招待したい場合は、その子の交通費は募金ではなく里親さんが自腹切る」という結論にしました。
差別の運動だ!という犬笛は、活動そのものに影響を与えませんでしたが、当時は、インターネットなどがなく、事務局に直接意見を言いに来る人もいました。
そう言う人の相手をするとかなりエネルギーが消耗します。
時間もとられるし。
迷惑な人たちがたくさんいました。
あるとき、私は、その人たちが、どのくらい募金してるのか?気になってのぞいてみました。
募金しなくても、バザーの荷物を寄付してくれるとか、お手伝いにきてくれるとか、参加の方法はたくさんあります。
なにせ、集まった航空運賃用のお金で、薬を買っておくったほうが効果的!まで言う人もいたのです。
で、資料を見てると…なんと、募金も、手伝いもせず、ただ、「無料の意見だけ」を言いに来ていたのです。
どっと疲れました。
あなたは今日の晩御飯これ食べたほうがいいよと言いに来てる奇妙な人と同じですよ。
さて、この「保養の人権」について、衝撃的な話がイタリアから入ってきました。
この写真は、ベラルーシの空港から、イタリアに保養に出る子どもたちの写真です。
ちょうど、里親訪問でベラルーシに行き、空港から帰るときに、窓から、子どもたちが保養にでるシーンに出くわしました。
イタリアは、企業が飛行機をチャーターして、子どもたちを乗せていき、イタリアのボランティア団体に子どもたちを引き渡します。
イタリア現地でかかるボランティア団体の活動や子どもたちの費用については、イタリア政府の援助があるそうです。
そこは、なんとなく、ドイツのスタイルに似ていますね(ドイツはバスですが)。
イタリアの活動の何が衝撃的だったか、というと、「一度引き受けた子どもは、3年間引き受ける」というものでした。
これにはさすがに、びっくりして、どういう考え方?なのか?
まず、保養運動は、成長期前の子どもたち、小学校高学年で、その時期に、細胞分裂が盛んになるので、異常が起きやすい。
その3年間を、責任もって、受け入れる。
一度受け入れると、子どももイタリアの家庭になじんで、安心して、家族のように3度の保養を楽しむことができるから、というものでした。
このイタリアの考え方は、日本で何度も説明しましたが、日本人に理解してもらうことはとても難しいと思いました。
私たちは、政府ではないので、すべての子どもたちを助けることは不可能です。
しかし、リーチできる子どもたちも、ベラルーシのすべての子どもたちにリーチできるわけではなかったのです。
汚染地域で活動してるボランティア団体があり、その人たちが、ボランティアで子どもたちの書類を作成したり、どこの国へ行くか割り振ったりする仕事も出てきます。
そういうボランティアのパートナーがいない地域は、子どもたちが海外保養に出ることはできません。
しかし、ベラルーシ政府も責任もって、政府として汚染地域の子どもたちを学校ごとに保養にだしていました。
ボランティア団体にできることと、政府の責任は違います。
(イタリアもまた、ドイツのように戦後補償の位置づけもあったんでしょうか?)
日本人の悪癖として、杓子定規で、大義を見落とす…ということはあると思います。
たとえば、先ほどのイタリアの保養に出る子の写真は、隠し撮りです。
ベラルーシの空港内で、写真を撮ったら、スパイ容疑で捕まる可能性がありました。
その状況で、もちろん、写真を撮る人もいるだろうし、撮らない…と言う人もいるでしょう。
どちらもでいいじゃないですか?
たった一枚の写真ですが、保養とはなにか?
福島原発事故のときに、お話会で、保養のイメージを伝えるのにとても活躍してくれました。
もちろん、ベラルーシ政府から、使用するなと言われることもあるかもしれません。
そのときはその時です。
あるいは、福島原発事故のあと、日本の放射能値が高かった時、ベラルーシのスモルニコワ先生が日本に来られたました。
2011年のことです。
こんな高い数値の中に置かれてるのか。
当時は東京も、子どもにとっては危険な地域もありましたよね。
そのとき、鎌仲ひとみさんの映画のインタビューにも答えてくれました。
小児科医でしたので、かなり体調のことも話してくれました。
インタビューが終わって…ふと、「スモルニコワ先生、あんなにベラルーシの被ばくの話、捕まるんじゃない?先生、取り下げてもらうように頼もうか?」
と心配になりだしました。
外国人に、被ばくの話をしてはいけない、ということになっていましたので。
スモルニコワ先生は、「この状況では仕方ない」と、日本のお母さんと子どもたちのために、決断してくださいました。
そして「1ミリシーベルト基準のベラルーシはいい国だったんだ」とおっしゃって帰国されたのです。
悪政を施す人、上級にいて権力とつながってる人の人権は、守られています。
常に。
彼らの悪事を追及するときに、私たちが、悪法や、思考のとらわれ(馬鹿の壁)を守っていては、本当に救済すべき人たちを守れないことを知ってほしい…。
今年はそんな年でした。
日本でも卵ひとケース、パンひとつ、盗んで刑務所に入ってる。
そのように人々を追い詰め追い込んだ
悪政をほどこした人をシャベール警部は捕まえようとしない。


