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やまゆり園のこと

あまりにも悲惨な事件なので概要はちょっと横において。

障害者施設で働いていた青年が、施設の入居者を大量殺人した事件の裁判の報道がされています。

優生思想…?

人間が人間を生きる資格が無い…と断罪できるという発想そのものが、陳腐な思い上がりなことはいわずともしれたことだと思います。

しかし、殺人までおこさなくても、日常、人間と人間が対すれば、強弱、支配・被支配の関係の人間関係を大なり小なりつくり、パワハラセクハラ、いじめなどの問題が起こっていますよね。

差別…と言う言葉はわかりやすいけれど、とても危険な言葉なので、私はあまり使いたくないのです。

というのは、チェルノブイリのかけはしは、チェルノブイリ事故で被災した子どもたちを「保養」のために、「転地療養」に日本に招待していましたが、人権擁護団体に実は、差別の運動だとして、批判されていたのです。

世界広しといえど、そんな陳腐な人権理解をしてるのは日本ぐらいですが、エリートというのはともすると机上の空論に酔うのでそのようなことが起きるのです。

それは、こういう理由です。

ベラルーシの汚染地帯200万人が居住すると言われ(原発事故前)、そのうち子どもたちは約30万人と言われていました。そして、その30万人のうち、日本に招待できるのはごくわずかですので、「それは差別」と言われたのです。

以後、私たちの活動に押された烙印はなかなか消えませんでした。しかしそういう人たちは募金などしてくれませ。悪口(彼ら的には人権指導)、言いたいことをぐっとこらえて、そのような自称差別認定集団にかかわらないようにして、自分たちを理解してくれる一般の人たちの支援によって、チェルノブイリの子どもたちは日本に来ていました。フクシマ原発事故を迎えて、多くの日本人が「保養」を見聞きするようになったと思います。

差別でもなんでもなく、保養にでていますよね。

なぜ、30万人の全員ではなく、一部の子どもだけ連れてくるのは差別か…といえば、それは、「一部の子どもだけ健康になったら差別でしょう?死ぬなら全員一緒にしぬべき」、という発想です。

悪平等という言葉があります。

つまり、ベラルーシ国民でもない、日本で人権擁護に取り組む意識高い系の人たちの発想が、おかしいわけです。

そして、やまゆり園の事件の話を聞いたときに、本当に、「紙一重」だと思いました。

人の生き死を人間が決めた時点で、その人自身の存在根拠もまた消えるのです。

人間社会には多様な価値観が混在しています。時代によってはどんな価値観が尊重されるのかわかりません。

やまゆり園の犯人が、自分が人間の優劣を決めて犯罪を実行して、同じ思想を持つ政治家にほめてもらいたかったようですね。そのような手紙がテレビで報道されることはありません。

しかし、社会が時代が、そのような優秀(?)とされる人たちを、精神の重症な病だから抹殺すると決める時代がこないとは限らない。自分が共感を感じていた、脚光をあびていた政治家が人気が落ちたり、収賄で失脚したらその思想はクズ扱いになるのかもしれません。

わずか75年前は日本は朝鮮半島を植民地支配していましたが、そのときは、日本軍の関係者は、スパイと疑った朝鮮人たちを裁判なしで撃ち殺していたり、残虐な仕置きをしたりしていたことが語りつがれています。

これは消せないことなんですね。あったことですから。

この発想も、また、やまゆり園の犯人に通ずるというか、その犯人が集団でアジアの各地に飛び散って、「優秀(?)な日本人」の手によって、戦争ではない場面で市井の民を殺しまくった歴史の反省がないから、再びその、悪しき魂がよみがえってきたかのように感じます。

重度障害者で国会議員になられた方(特定の政党名や議員名を出したらNPO法違反なのだそうで、チェックされてしまいました。)は、障害者施設に入っていたら、施設の職員に意地悪されたり、床に一晩放置されたり…そんな環境があったというのです。つまり、やまゆり園の犯人が特別なわけじゃ無く、日常の生活の中でそのような仕打ちを受け続けていたと。障害者であっても自立した生活を送りたい…そう思うのも当然ですし、当然の権利として、保証されるべきです。

みなさんは、老人のケアホームのようなところを訪問されたことありますか?

私は訪問したとき、自分が老人になったら、このような集団生活が可能だろうか?と考えただけで、ゾッとしたことがあります。(迷子になったら困るので)建物の外に自由にでて、外気を吸うこともできないのです。お風呂も週に2~3回。自分のペースで半身浴とかそんなわがままもできませんよ。

今日はカレーが食べたいのに、施設の職員がレンジでチンした何かの料理。

もちろん、施設を維持してくださるだけで、今は施設の方の最大限の努力ギリギリ限界で行われています。

みな、走り回って…いえ、駆けずり回って余裕がない。

だから、施設の方が悪いとかそういうことを言いたくないのです。

やまゆり園の事件の犯人が、介護の仕事をされていたのに、その仕事を誇りに思える待遇がなされていないことが、私はこの事件の根幹にあると思うんですね。

プライド…です。

もちろん人格で差はありますが、医師や看護師、あるいは栄養管理士、放射線技師などなど病院のスタッフはみなホコリをもてるのは、社会的な尊敬と待遇が保証されてるからではないでしょうか?

障害者や老人の介護、という社会のいちばん肝心要の仕事をされてる人たちの、社会保障、信頼を確立するのは国の責任だと思います。

昔は老人の介護?そんなの長男の嫁がやっとけ…。そんな重労働をしても、遺産相続の権利もないのに、家族中から押しつけられる。今でも…そうかもしれないですね。(少しは民法で変わるらしいですが)

さて、私が言いたいのは、日本はこれから高齢化社会になります。

施設や介護の仕事されてる方には充分な高給と社会保障をちゃんとしてあげてください、ということです。

そんなお金はない?ありますよ。

政治家が無駄遣いたくさんしていますから。

2011年チェルノブイリ事故の子どもたちのことをお話し会で回っていたときに、ある有名な建築メーカーの会長さんにぜひ話して欲しいと言われて、一人お話し会をしたことがあります。影響力のあるかたならば、政治家に進言してもらえるかも…なんて甘い期待はうちくだかれて、ようは自分一人が納得できればそれでいい。

ああ、名だたる企業のトップの人の考え方はこんなものなのか…とガッカリしました。

そしてこうも言ったのです。「老人達がは康保険を使いすぎて国庫を圧迫してる。健康管理もできない連中が」と。

こんな死の灰が毎日降り注ぐ日本で、どうして健康でいられるでしょうか?

そう、戦後、企業を大きくしたトップでさえ、こんなやまゆり園犯人チックな発想なわけです。

自分もその健康保険を使う老人の一人なのに…自分は違うと思ってる。

そうです。冷酷でつまらない老人は殺してもいい、という風潮ができたとしたら殺される側に入る人なんです。

そう決めた時点ですでに、決める側も冷酷なのです。

優秀だから…という一見最もらしい根拠は、見た目にすぎないことが多いし、ナチスや大日本帝国時代の日本人の傲慢な人格がそこにプライドを見いだしていた。

でも…連合軍のほうが「優秀」で、戦争にまけちゃいましたよね。

差別化した時点で、差別する側になって有頂天になった時点で、また別の勢力から差別される側になることを気づいたらいいのです。

やまゆり園の犯人には、もう少し人間として時間が必要だと思います。

でも、私たちは新しい価値観をつくることができます。人間だから。

重度障害をもたれる国会議員さんたちが、国会やオリンピックのいろんな場面での障害者の参加についてどうなのか?チェックをされているようです。障害者の方達が署名を集めて「お願い」してきた一方的な関係が変わっていく。

もっともっと障害を持たれた方が国会へ行かれた日本のためになりますね。

人を殺す社会では無く、生かす社会…のデザインをすることで、私たちはまったく楽しく自由に生きることができるのですから。そういう暖かい社会をつくる自由があります。

障害を持たれた方のために社会を整備することは、実は、今日、あるいは、明日誰もが障害者になってもいいように道を整えてくださる先遣隊だと思いませんか?

この問題に、今の高齢者たちが、若いときに取り組んでこなかったから、若い世代にツケが回ってしまっています。

社会を変える…ではなく、人間の意識を進化させる!

タイムリーな映画、「インディペンデントリビング」

https://bunbunfilms.com/filmil/

つまり、殺す人にもなれるし、生かす人にもなれます。私たちは。

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