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元号が変わっても政治が好転するわけでは無い

新しい元号が準備されて、天皇の御譲位が近づいています。総理大臣が天皇になるんですか?(笑)

平成になったときは、はい、これが元号…という感じだったように思います。今回の馬鹿騒ぎ、臨時の号外をとりあう混乱を報道したり(これ本当?)、総理大臣がテレビに出突っ張りで、おいおい、本来の仕事を放り出して、「国民のみなさんの気分をもりあげますよ」的なことしてるように思えます。

めでたい!???のか?この現状。

あなたの収入が増えるのか?子どもたちのための政策が増えるのか?

天皇家が続いても、日本の子どもたちの未来に何か明るい材料が一つでもあるのか?

テレビで自分の手柄のように高揚してる政治家を見て、「この人が次の天皇なの?」というオーラまで感じたのは私ひとりなんだろうか?こういうのを便乗してるというのでは?政治利用…と感じさせてしまってる。

平成に元号が変わったときの政治家達のように天皇の政治利用!だと批判されぬように…という配慮さえも必要ないと思ってるようです。

元号が変わって気分が変わって景気が良くなる…なんて要素はないわけです。収入がないのですから。

そのようなありさまをみて、嫌気をさして、軍国化…の懸念を感じた人が、SNSなどでは天皇制などなくしてしまえ(差別につながるから)、とか、元号など入らぬ、という言動も時に出てきます。

旧ソ連の独裁の恐ろしさを感じてきた私としては、「天皇制があるから、差別があるのではない」のだよ、ということは知ってもらいたいなと思います。

それはつまり、差別された側と差別する側の、夫婦のような意識で成り立ってるものなのです。

先日ある、飛行機に乗っていたときのことです。

今はCA(キャビンアテンダント)と言いますよね。昔はスチュワーデスさんと言いましたが、まだまだ、女性が多い職業です。「飛行機がとても遅れてすみません」とCAさんが言ったとき、私の前の席、上品な日本の男性(たぶん会社の仲間での乗り合いのようです)が、「何かあったんですか?…(などの会話をしたあと)、僕としては、飛行機が遅れて、スチュワーデスさんと少しでも長くお話しできるほうがいいですからね、遅れても良いですよ」と言ったのが聞こえてきました。

どうみても、まあ、所得の良さそうな男性グループでした。上品なものごして、たぶん、仕事はITか何か大きな企業で、ガツガツしなくてもいい職場なんだろう、服装や持ち物などからも雰囲気をそれぞれが醸し出していました。

いやあ、これなんだよなぁ。

天皇制以前に、私たちの生活の中での女性差別というか、もう女性蔑視ですね。

そのときの、CAさんの凍り付いたような表情は、忘れられません。

CAになるには、相当の努力が必要なことはみなさんご存じだと思います。そのような職業人に対して、「女性」でくくって会話すること、あるいは女性と会話するときに、女性を意識してる自分をアピールすることがエチケットか何かと勘違いしてる男性群をまじかにみたような気がしました。

「別におまえに女性としてほめられんでもええわ、褒めるなら仕事ぶりをほめてやればいいのに」と思って聞いていましたが、CAさんが「(しょうもない会話にはつきあいません)」という、生ゴミ光線を目から出し、男性は…と静かになりました。ここで終われて良かったです。差別を受け取らなかったんです。

立場を変えてみればわかるんですよ。

たとえば、男性のCAさんに「あなたととても長く話せて良かった」なんて、言うでしょうか?

「なんでもいいから早く出発してよ」じゃないですか?

しかし、男性達にとって、女性を愛でてほめて何が悪い、という感覚がなぜ悪い?と思ってるでしょう?

若くてきれいな女性にだけ、大概ちやほやして(そんなたぐいのことを広言する政治家もいましたね)、母親になって子育てに苦労してれば、どけどけ邪魔なんだよ、とか、あるいは家庭でも「子どもの世話ぐらいおまえがやれ、オレのメシは?」なんて、対応を平気でしたりするわけですよね。女性は女性で、姑になれば、何か権力を得たかのようにヨメをいじめて、楽しむような。そういうくだらないことの繰り返しを日本の生活の中で、戦争が終わった後もずっと続いてる。

学校や職場でも同じような差別や上下関係を日本人から抜いたら何か残るのか?とさえ思うほどです。

上下関係、部活関係、教師が教師と言うだけで威張り散らすとか、何か小さな特権を探して、誰か自分の下になる人をみつけては、いじめていく。そんな日常の中に、「天皇制」があろうとなかろうと、弱い人は、権威をみつけて、権威に便乗して、自分の努力とはまったく別のところで、自分を輝かせたい、というそれが差別です。

つい先日、フォトジャーナリストが、多数の女性に仕事を教える代わりに身体での饗応を強制していたということが問題になりました。さまざまな国の人権侵害を扱ってきた専門家ゆえの名声、知る人の世界の中ではあたかも天皇であるかのような扱いを受けていたんだと、事件があきらかになってから、理解できました。

なんとはなくその雰囲気を知っていながら、「彼のやってきたことはすばらしいからその名声をケガしてはいけない」という周囲の配慮も、被害者を増やしていったようです。

この事件の本質は、私たちの生活の中に蔓延する「小天皇制」にあります。

私たちの生活の中で、家庭の中で、私たちは、今上天皇や美智子様のようにふるまうことができていますか?

言いたいことは山ほどあるだろうけれど、天皇という枠組みの中で、「平和をつくるためご尽力」に関しては国民の誰もが認める活動をされてこられました。行動…で。

逆なことがほとんどです。苦しんでる家族に追い打ちをかけるように、あなたがダメ人間だからこんな目にあうのだと、そういう話ばかりが聞こえてくる。子どもに自分の希望を押しつける。

「小天皇」になって、権力を行使していませんか?

日本軍が、日本人が明治から1945年(昭和20年)まで、「小天皇」となって「皇軍」を語り、乱暴狼藉をしたことをがあった、と事実を言うことさえ、反日だと言われる始末です。

かと思えば、元号無くしてしまえ、と。

どちらも、私から見て、ヒステリーな反応です。

私の親世代なんて、西暦なんて使えないのに、西暦を使えと強制するんですか?
それと同じことを、明治になったときに明治政府がやったんです。ざんぎり頭にしろだとか、あれこれと。

しかし、30年位前まで、着物を着てるおばあちゃんが多かった。それほど、生活を変えるには時間がかかったんです。100年以上、西欧化されなかった部分がある。それほど、生活の中を変えるに時間がかかった。

元号無くしたぐらいで、私たちの意識が変わるのか?それも誰かわからない人の「これが良かろう」という鶴の一声で。

国民でよく考える…という慈悲も無い。こういうことが旧ソ連チックなんですよ。

差別したい人が天皇を利用して自分を大きく見せたい。誰にでもそういう心境というものがあるでしょう。

それと闘い克己して自分を高めていくのか、あるいは、プンプン、ピノキオのように嘘をついて鼻をどんどん高くして人をみくだすことに喜びを見いだすのか。

日本人というのは島国で、明治の前は外敵から攻め込まれた経験がほとんど皆無です。

だから、明治政府や昭和の大本営の言うことがすべてだと、権威に従う対応方法しか知りません。

つまり、外交オンチなんですね。

元号が変わっても、なくしても、私たちの生活は何も変わりません。

私たちが自分たちの生活の中から差別を取り払う努力をしつづけることで、先祖がなした、忌まわしい他民族差別の歴史を、変えていくという偉業へ向かう感性がはじめて培われるでしょう。

生まれがたった1年違うだけで、部活で「先輩」として威張れる…って馬鹿みたい。

それで、五月1日に、即位するのは総理大臣?

ちゃうちゃう。

天皇の政治利用はダメです、そこはけじめをしっかりつけないと、「小天皇もどき」が世界中の人を残酷に殺したことは事実ですから。総理大臣が小天皇であるかのようなまぎらわしい行いは、謹んでもらいたい…って指摘するのも、ちょっとガッカリです。

総理大臣が「景気」をあげるために気分をもりあげる必要などないのです。

経済的に困窮してる人たちへの政策を豊かにするのが仕事ですから。

(万葉集の前に、中国の漢詩を参考にしていたそうですが、日本の知識階層って、日本人だったのか?と疑問です。当時の漢字は難しいのにどこで学んだんだろう?日本で?)

女性達が、この国の困難の掃きだめになってる。

それを輝き…と言い換えても、苦労は何も減らない。

ただ、女性を持ち上げるだけじゃなく、女性のすべてを尊敬し、うやうやしく扱ってほしいと思います。

あれもこれも、追い詰められて、キィキィしてしまうお母さんも、みますが、ゆとりがないんですよ。

いろんな意味で。

天皇もお母さんも同等よ、意識の中で。
お母さん、がんばってるね、すごいねと。

天皇とお母さん溺れてたら、どっちを助ける?

天皇とお父さん、どっちが偉い?

国会議員と国民どっちが偉い?

どちらも同じく尊い、本当に心からそう思えるとき、差別がなくなるんです。

(実際は国会議員は国民から雇われてるから、仕事しなければ取り替えたら良い)

何が言いたいかというと、王制を無くしたら差別がなくなるなんてことはないし、そのことで明治から昭和になした殺戮の事実を消せないということです。

私たち日本人がしっかり向き合うこと。自由と平等の国、アメリカでも差別問題はまだまだ解決できていないのです。

フクシマ原発事故がなかったかのような対応とまったく同じ対応ですね。

歴史に対して無責任、政治に対して無責任。

すべて嫌なことは、忘れて、明日を迎えろ!

権威をなくしてもなくしても、権威をほしがり、権威になりたがり、権威に従いたい人がいるかぎり、差別はなくならない。

ロマノフ王朝を廃して、旧ソ連ができても、結局、国民は支配されたままでした。

彼らの願いは強い大統領が悪人をコントロールしておいてくれたらいいということだったようです。

私たちが、心のそこから、地球人ひとりひとりの魂がひとしく尊いと思えるまで、この世界での修行が終わらないと言ってたのはお釈迦様だったでしょうか?

放射能(死の灰)は差別しますよ。

大人と子どもは、被害は子どものほうが甚大ですから。

 

 

 

 

 

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