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ありのまま‥ってどのくらい?のこと

先日、エニアグラムのことを、知ったかぶりで書きましたが。今日もちょっと続きです。

「うちの●●ちゃんは、これが好きなの~」

「うちはこれが~」

という会話で、「(え?え?え?)」ドキっとさせられたのは、私が自分の子どもが何が好きかとか、どういう性格か、ということをまったく考えてないことに気付いた瞬間でした。

「うちの子は、アレルギーで」というのが、決まり文句だったのです。

アレルギーって個性じゃないよね、性格と違うよね。何が好きだったんだろう。全部、アレルギー基準の生活に振り回されて、本人をみていなかった。もちろん、食べ物によっては中耳炎になって熱を出すから、新米母親として緊張の連続の中で、アンパンマンがどうしたとか、そういう生活とは無縁でした。まして、「普通の子」のお母さんと接触することもほとんどなかったのです。

自分の子どもが生後3ヶ月、まさにお百日のお祝いが続いたとき、どっと顔に湿疹がでました。

え?ですよね。

しかし、たまたま、当時札幌に住んでいまして、無認可保育園「風の子保育園」に通うことになり、そこで食物アレルギーのことをずいぶん教えていただきました。そうでなければ、どうやって子育てを乗り越えることができたのかわかりません。

人と人は出会い‥といいますが、どのようなご縁で、その保育園に導かれたのかももう覚えていないのです。ただ、ご縁に感謝ですね。

しかし、先生たちは無認可‥という状況の中でも研鑽をかさね、子どもたちの成長のために、努力をおしまず文字通り尽くしてくださっていました、今思うと、恥ずかしいほど未熟な親でわがままも暴言も吐いたように思い、穴があったら入りたいぐらいです。

自分の母乳がアレルギーの原因‥といわれたときほどショックはなく、夜中にかゆみでぐっすり眠れない我が子の苦しさもさることながら、睡眠不足の母親業と、食事はすべてアレル源を抜いたもの、お風呂、洗剤、すべてが総取り替え。必死で言われるままに指導に従いました。

抵抗力が弱い‥。なぜ?

わかりません、しかし、妊娠中はなるべく有機栽培無農薬のものを食べていたのに‥と、出口のない迷路をぐるぐる回っていました。

食物アレルギーのわが子、ではない、わが子を想像してみることもなく。

考えてみれば、その長いトンネルを抜けてみれば、病気が治ったのならもうなんでもいい、好きなように生きてほしい、と思ったとおりになって、それでも一緒に住んでいれば、やはり、子どもが成長すると同時に、ぶつかることも出てきます。

普通の子のお母さんたちが、子どもの性格、好きな遊び、好きな食べ物をふんだんに与えてるとき、食べられる食べ物、抵抗力を上げる遊び散歩などに傾倒していたのですから、ある意味、「世間で言う普通の子育て」のスタートは3年遅れたのかもしれません。

病気が治ってみれば、わがままだなぁ(笑)うちの子は。楽しいことしかやりたがらない‥。

保育園で定期的にいただくビデオには、抵抗力をあげる運動(金魚運動とか)をみんながやってるところを、こっそりサボって部屋の隅で遊んでる3才児が写っていて、自分の子だと思って肝が冷えました。

そのうちチェルノブイリの子の保養が始まり、マッチングシステムなどありませんから、ベラルーシの子どもたちと日本の里親さんのトラブルやあるいはうまくいくケースなどを調整することも多くなりました。あの家では子どもはこうだけど、この家ではこう、あるいは逆もある。それは誰がいいとか悪いとかではなく、なにか見落としていることがあるのではないか‥?

ということから、あれこれ調べてみて、納得がいったのが、エニアグラムだったのです。

これは占いでもなんでもないですね。

たぶん、古代からの人間観察だったのだと思います。

だいたい9つの性格の区分にわけて、それこそが、生まれ持った個性なのだと思います。

それがいいとか悪いとか、どの性格が一番ということではない。

たとえば、「②この星を愛して素晴らしい生活を送りましょう」母親の愛というふうに自分はとらえていますが、これが行き過ぎても足りなくても「毒親」になることは、みなさんご存知ではないでしょうか?

いわゆるマザコンとか、自分に子どもを依存させる毒親の未成熟さ、だと思います。

②番のとなりに①と③があり、①に近い2番もいれば、③に近い2番もいます。

だから、この人はナン番の性格!とか言えないんですね。そして、お互いを酷しあう性格もあるし、学びあったほうがいい性格もあるし。何がいいたいかというと、相性が悪くても、良くても、自分に足りないものを他の人が持ってる‥ということです。

今の日本の間違いは、すべてを同じ性格、同じ反応になるように、学校で教育しています。

そのようなことがあるわけがないんです。

小さい頃にみな性格を持って生まれてる、それは否定しようがないこと。親業を経験した人はわかるでしょう?

兄弟でも性格が違うし親をはさんで、いろんな力学が日々起こっています。

エニアグラムでもいろんな先生が書いた本があって、それこそが、キャラの違いなんだと笑ってしまいます。

鈴木秀子先生の本は心理学的ですが、子どもの性格を理解したいならこの本がおすすすめです。

子どもは十人十色ですね。本来、おとなもそうであるべきです。

 

それがみな個性を活かし合う‥ようにではなく、みながまったく同じ考え、同じ感性を持つように仕向けられている。

こんなザンネンなことはないんです。

特に、親が大学を出ている子は、すでに大学を行くことが決められてる。これも親の先走りなんです。

本当は、エンターテインメントの世界、あるいは料理の世界、いろんな世界がその子にあるのかもしれないのに、大学‥。とりあえず、大学、とりあえず、収入が先だろう?

という親の狭小さの犠牲。その親の価値観が今の時代通用するでしょうか?

ボランティアをしてると、いろんな人とめぐりあいますが、まさに危機のとき、その「いろんな」ことが必要になってきます。

みなが同じだと助け合いが貧弱になるんですね。

え?ここでこの人が救ってくれるのか‥。

ここぞ、というときに誰がどういうアイデアを出してくれるか?日本のように画一化してしまって、与野党あいのり選挙になってるところをみると、ああ、もう脳みそが石化して、楽をしたいのだなとわかります。昔のやりかたでいい、ということになる。

ほんとうの自分を探す旅というのも一時期流行りましたが、探す必要あるのかな?

自分がここにいるのに。学校に通うようになって先生に叱られないようなキャラに変えて、ほんとうの個性感性は鍵をかけてしまってるだけです。

そしてありのままに‥というディズニーの映画が日本で異常にヒットしてるのはなぜ?というネットの議論がありました。

だれもありのまではないのに、ありのまま‥に、それは日本人の子どもの頃に捨てた夢や感性のことなんでしょうか?

よしよし、エニアグラムをつかって自分の子どもを調べよう、ではなく、まずは、おとなが自分のことをみつめてほしいのです。

エニアグラムの目的を知れば、生きてるうちに、すべての性格の人達の良さを知り、自分にも吸収させていただくこと。

たとえば、すぐ怒る人は、白黒つけたい人ですよね。もう待てない。

しかし、待ててる人はどういう考えで待ててるのか学ぶことができるということ。

子どもを虐待して殺してしまうような人は、どこかのキャラのひとつだけを尖らせてしまったのだと思います。

子どもの頃を勇気をもって思い出し、自分がどのようなことが好きだったか。おとなになったらどんなふうになりたかったか。

それに近づいてるか?誰かの真似をしたり、周囲からドウ見られるかにおびえていないか?

 

たとえば、事務次官までやった方が「このままでは人に迷惑をかける」といって息子を私刑をあたえ殺してしまいました。

これなどは、人からドウ見られるかよく見られたい、という3番の性質が行き過ぎてしまった官僚的な病だったのではないでしょうか?

人からどうみられたって、わが子の味方は最後は親だけなのに。(だから親がいない人は寂しいのです)

しかし考えてみれば日本の親は子どもに戦争に行って死んでこい!ですからね。

2番の愛情深さが足りないのかもしれまぜん。

バランスが悪いんですね。

人からドウ見られるか、ファッションなどではなく、自分が自分らしく生きてれば、かっこいい、と自分が自分に思ってあげられるか。もちろん、その道を歩けば、経済的に不利益を得るかもしれない、友達が減るかもしれない。

でも、それはとても気持ちがいいものなのです。

ブラック企業をやめたぐらいで、生きていけない社会というのは、社会がどこか未熟で変えないといけないということ。

システムの問題です。

自分が自分らしく生きれてかっこよかったと自分に言ってあげられるかしら?

せっかく人間に生まれたのですから、多くの人に出会ってほしいと思います。

学校の先生が好きなキャラというか、生徒に押し付けてるキャラもあります。

明るくて先生の言うことをハイハイきいて、疑問を持たない。

そんなキャラ、精神病だと思いますよ。

修道院で修行してるわけでもないのに。

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