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当時15歳だった私が生きた15年・非県民、非国民と言われたあの日から#わかなのブログ

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 私は、世界から核を無くしたいと思っています。これをお花畑や理想論だと鼻で笑う人がいますが、私は決してそうは思いません。
2011年3月11日、私は福島県伊達市に住んでいました。当時15歳、中学校の卒業式の日でした。
式が終わり、午後に自宅にいた時に被災し、その後、原発が爆発しました。同年5月に家族で山形県に移住し、2015年からは北海道に単身で移住しました。
その後、講演活動などを行い、2021年には『わかな十五歳 中学生の瞳に映った3.11』という本を出版しました。

 当時、私は多くの大人から無神経な言葉を投げつけられてきました。
 自主避難をすると言えば、教師から「お前が行くと風評被害が広まる」と言われたこともありました。
 
 今年、私の脳裏に嫌でも何度も思い出されるのは、「非県民」「非国民」という言葉です。
これは当時、放射能を気にする人たちや避難する人たちに浴びせられた言葉でした。

「気にするなら福島から出ていけ」「嫌なら日本から出ていけ」と、私もそのような言葉を投げつけられたことがあります。
私は15年前から、当時の福島の状況を「まるで戦時中のようだ」と感じていました。放射能が怖い、原発は嫌だ、そんな当たり前のことを言えば白い目で見られ、大人から子どもまで、周囲の目を気にして「当たり前のこと」が言えなくなってしまいました。

 私は戦時中を生きていたわけではありませんが、言いたいことが言えなかったあの時代も、きっとこのような状況だったのだろうと恐ろしさを感じました。
戦争の足音が聞こえたのです。事故が起こってから数日、数ヶ月も経たないうちにそのような空気になってしまったのですから、きっとまた簡単に、当たり前のことが言えなくなる時が来るだろうと、15歳の私は感じていました。

 講演活動を始めてからは、戦争の足音が聞こえたこと、この国はまた戦争になるかもしれないということも伝えてきました。

 命がもっとも優先されるべきであり、核の平和利用などあり得ません。
 お金や仕事、地位や立場が優先され、命のことが後回しにされてしまう今の社会システムには、もう終止符を打たなければなりません。

 2026年は震災と原発事故から15年が経ちました。私は30歳になり、福島で過ごした15年をとうとう越してしまいます。
しかし、これだけの年月が過ぎて、良くなったことが一つでもあったでしょうか。
 今年は、本当に戦争になってしまいました。
 
 戦争を経験し、原爆を経験し、核の事故もたくさんあったこの国は、これ以上何があれば悔い改めるのでしょうか。
今は、命に立ち返り、地に足をつけるときだと私は思います。当時子どもだった私は、大人と呼ばれる年齢になってしまいました。それでも私は今でも思っています。なぜ原発事故が起こったのか、なぜ止められなかったのかと。そして、なぜ事故が起こってもなお、再稼働や原発新設という声すら上がっているのでしょうか。
 
 平和を願うことや叶えることを理想論だと笑うなら、笑えばいいと思います。世界から核を無くしたいと思うことがお花畑だと思うなら、そう思っていればいいでしょう。しかし、いつか戦争が起こった時、核災害が起こった時、誰もが皆巻き込まれます。誰もがいつも当事者なのです。
 
 私は、皆が命を大切にする社会を作ることができれば、この世から戦争も核も、気候変動もいじめも虐待も、あらゆる犯罪も無くなると確信しています。「そんなの無理だ」という人もいるかもしれません。だとしても、命を大切にすることや平和を願うことは、悪いことなのでしょうか。核をなくすこと、原発をなくすことは悪いことなのでしょうか。私はそうは思いません。

 明日、あなたとあなたの大切な人が笑って生きていられるように、共に声を上げてください。
 命を守りましょう。
 平和を叶えましょう。
 核をなくしましょう。
あなたが生きていること自体が希望そのものなのです。
どうか、その命を大切にする未来を、共に選んでください。

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