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はじめての動画投稿・バザー編

綿たちの活動も1992年からですので、なんだかんだ30年超えました。
何度も事務所の引っ越ししながら、さまざまな資料を整理つつ、その膨大さに悩みます。
これもう使わないよな…でも、すべて募金で活動してきた団体として、それ捨てていいのか…。
お金はないけれど、資料だけは山ほど、財産としてある。
ホームページに載せるにしても、写真も多く、重くなるとアドバイスをうけまして。
今回初めて、まずは、バザー編ということで、記憶とチラシと感謝を込めて、動画をつくらせていただきました。
初心者ですので、ご笑納くださいませ
活動にご協力くださいましたみなさまに、改めて、お礼と感謝をお伝えしたいと思います。
動画に紹介しきれなかったイベントもたくさんありますm(__)m
情けは人のためならずと言いますが、日本での原発事故のあと、ベラルーシの人たちからさまざまな教えをいただきましたね。

つくっていて、しみじみ感じたのは、今の国は、30年前の国とは、内実がまったく別だなということ。
同じことを、今の日本ではできないだろうと思います。
一回のバザーで、売り子さんと、買いに来てくださる方で300人越えのかたが、会場に集まれる、そんな時間を誰も持ってないですよね?
私たちが活動を始めたときは、旧ソ連が崩壊したときからですが、
まったく気が付かないにしても、私たちの国も30年かけて別の国になってしまったのかもしれません。

チェルノブイリの子どもたち_おいでおいでチャリティ無限ループの巻

なぜ、つくったか…。
子どもたちに伝えたいですね。
無一文で、チェルノブイリの子どもたちを連れてきたいと言った時、当然「できるわけない」「うんぬんかんぬん」ということを言う人たちも山ほどいたけれど、何も言わず、そっとバザーの荷物を仕分けしにボランティアして帰っていく人たちのほうが、多かった。
おそらく、それはこの30年でのべ数万人以上だと思います。
かつて、そういう国だったということ。
人々に余裕があり、ボランティアにかけつけることができたのだと。
人間らしく思った通りに自分の時間を使うことができた世界があった。
今は、できないんじゃないでしょうか?

笑い話ですが、資金集めに奔走してる私たちは、土日にバザー、それ以外は仕分け、チラシをあちこちのお店においてもらったり、走り回ってるのに
救援先のベラルーシでは、ほぼ週休三日で、週末はダーチャ(自家用畑と簡易宿泊)に、プチ休み。
過労死(実は心臓死)という言葉もあちらではやりはじめていましたが、どっちが過労なんだよ、と言いつつ。
子どもたちの元気な姿を見たいと、毎年続けて、あともう少しで20周年というところで、チェルノブイリの子どもたちの保養は終わってしまいました。
今は、私たちは、りんごの森という日本の人のための保養所を持っています。
しかし、自国の子どもたちの保養の責任は、国にあり、あくまで私たちボランティアは、任意でしかないのだと思います。
ボランティアはいつなくなってもおかしくないものですから。
やはり国の責任で、しっかり、子どもたちを守ってほしい…と思います。


ベラルーシにある保養所のリストですが、学校ごとに保養にいってます。
もちろん、汚染地域にも施設があって、なんでやねんと思いますが、親たちに言わせたら、そこで健康診断してくれることは助かるとのこと。
クラスごと21日ぐらい保養に出ていました。そこでは、汚染のない食べものを供されてるし、カウンセリングもあると。
つまり、ベラルーシでは官民あげて、保養に子どもたちを出していたことになりますね。

保養は病気を治す…ものとしての位置づけではなく、病気にならないように体力をつける、欧米の人たちが夏休み休暇1か月とってのびのびしてることの意味を
日本人には理解できません。
しっかり休養することの意義をもう一度、知ってほしいなと思います。
それは、発病の予防です。
たとえば、風邪をひいて薬を飲み菜がら無理して働くのが日本人。
しっかり仕事を休んで寝て治す、が、身体をいたわる本当の方法で、欧州ではそれが当たり前、として保養が抵抗なく受け入れられたのだと思います。

さて、動画ですが、技術が未熟というか、よくわかってないでつくってるので、勝手に早回しになってる!(と思ってるだけなのか)
克復していきたいものです。

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