「放射能恐怖症」という言葉は凶器

kurumi

ベラルーシの里子の家に招かれて、お土産に「クルミ」をもらいました。
そして‥これを毎日少しずつ、そして、ハチミツ(非加熱)と少しずつ‥
里子の子どもに食べさせていました。
甲状腺にいいんだ、ヨウ素が入ってるから‥。

チェルノブイリ原発事故から今年で30年を迎えました。
チェルノブイリ・エイズで死にそうになり、保養で体調管理をしてきて、今や立派な大黒柱になった里子。
チェルノブイリの消火作業で亡くなった夫の一粒種を、自分の命に変えて守りたいと泣き叫んだ母親も今やおばあちゃんとなって、孫を慈しんでいました。
優しいお嫁さんと、かわいい孫ちゃん。

絵に描いたような幸せな家庭に招いていただきました。
心から、この家庭に関して、肩の荷が降りてくことを感じました。
私がときどき、甲状腺が腫れて大きくなることもある、と言うと
クルミをお土産に持たせてくれたわけです。
民間療法‥、放射能恐怖症と一笑に付されることかもしれませんが、
笑う資格がある人がこの世にいるのかな?

「ラジオフォビア」(放射能恐怖症)という言葉は
原発事故を起こした側が、不正義を通用させるためにつくりだした言葉です。
病気の人達の心を、この言葉で氷漬けにして、檻に入れ
病気になったあなたの心のせいであり、あなたが悪い
という責任転嫁できる便利な言葉が用意されました。
放射能の脅威はあとからあとから現れるわけで、個人差もあり、世代を超えて現れるので
因果関係を証明することがそもそも困難です。
そのような、言葉を発明して、未熟な科学技術にすがることは
まだ人類の心が、愛が足りないのでしょう。
犠牲になる人のことを考えたら、そのような技術にすがる人たちこそ、「心の病」がある。
私達人類は、そういう巨大な欲望を制御できない幼稚な人たちに支配されているのだとつくづく思います。

ラジオフォビア‥その言葉にうんざりする、というため息。
昨日あったベラルーシ人たちから、何度聴いたか。
なんでもラジオフォビア‥になっていく。
白血病でさえも‥。
それは放射能のせいではない、という人もいる。
病気の子どもによくそんな無責任な言葉を言えるな~
言われた家族もそのときは、放射能のせいじゃない、と思いながら
あとで、あれこれ被害にあった人の話をきいて
やっぱり放射能のせいじゃないか‥と。
その心をどこに持っていけばいいでしょうか?

ああ、やっぱり自分の身体の不調は、放射能恐怖症か‥。
気にしないで明日から元気にやっていこう!
と、思える人が何人いるんだろう。
自分の家に帰って、ウツウツとした気分で、薬で治らない病気と闘っていくわけですよね。
今は、ベラルーシを劇団「曼珠沙華」の公演で移動してるわけですが、
ベラルーシ全体が、ラジオフォビアと闘ってるのではないか‥と思うこともあります。
確かに、チェルノブイリ原発事故から30年
旧ソ連崩壊から25年
目覚ましい経済発展を遂げたように見えるベラルーシです。
ガソリンもない、歯ブラシもない世界から
今や、豪華なショッピングセンターも次々とできて、商品の価格も上がってきています。
けれど、いまだに汚染地域の子どもたちは海外保養に出て、政府のサナトリウムで保養を続けている。
汚染はもちろんなくならない。
そして‥汚染地域に住まない小さな子どもたちがメガネをかけ始めてる。

ヒロシマナガサキでも、50年という年月を得て、放射能が原因だと証明できた現象や病もあります。
汚染されたものを子どもたちに食べさせる話は、ブーイング!
人類のあやまちの中で、核を作り出し、人類に対して武器として使用したこと
度重なる核実験で自然を汚したこと
その核の死の灰を子どもたちに食べさせたこと
それは人類史上に残る大きな汚点でしょう。

里子が、エコロジーなプールを売っていました。
それは自然素材でできていて、その水を芝生や畑にまいても、大丈夫なんだ‥と話していました。
おばあちゃんになった母親は、ダーチャ(畑)を始めて、クルミや自家製ワインもつくり
ウオッカなのか涙なのかわからなった乾杯も、今は健康的になりました。
放射能を広げるような
不正義に味方するような人の話は根っから信じてはいけないし、
健康を守るための努力を惜しまないことがこれからの我々のミッションであり、
次世代への責任だと心から思いました。

里子たちは、もう一度日本へ行きたい‥と言わなかった。
「いつでも、ベラルーシへ保養に来てね」
と言われた。
それは、放射能恐怖症ではないからこそ、痛い言葉でした。

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