汚染された自給自足>>

06_01_99-06-03 22-41 00002_1  ベラルーシはチェルノブイリ(ウクライナ)からわずか10kmの風下にあった国で、国土の4分の1が汚染されました。死の灰が70%降り注いだと言われています。(ここをマウスでダブルクリックして、文章を入力してください。
06_02_05-07-04 15-16 00001_1  ベラルーシの農業を支えていくのは、わしらじゃ~!

保養から帰った里子が送ってくれた友達との写真。

汚染された草の上にたっていることが、悲しい。

06_03_99-06-07 11-12 00002_1  日本から帰った里子が村の日常を撮って送ってくれました。ものすごい汚染の森から放射能を含んだ水が流れ込む湖で楽しそうに泳ぐ村びとたち。大好きな人たちの危険な姿に絶句するしかりませんでした。

06_04_00-01-17 10-55 00002_1  チェルノブイリ前、甲状腺障害なんかなかったのに…と悔しそうに語った体育のウラジミール先生。

 事故のあと汚染地域の子供達は100人中98人が血液検査でひっかるようになってしまった。

 子供達の顔は「ねずみ色」とよばれるようになった(白人なのに!)日本から送られたバスケットボールを持って、ありがとう!

06_05_05-07-04 15-21 00001_1  村では動物たちは放し飼い。好きなところをお散歩して。水の流れつくところ、木の根元や、柴に放射能が吸収され汚染値が高くなる。ひよこちゃんは早くにげろ~!

06_06_01-03-28 19-31 00002_1 自給自足
 ベラルーシの農村部に行けば、いやちょっとした街でも、マイ巣箱を持っている人がいる。巣からとれたての蜜と蜜ろうを食べさせてもらった。蜜ろう?やっぱりろうそくになるものだよねぇ。口の中では甘い味がなくなったあとは、ろうそくを咬んでいる(笑)・おいしかったです。しょちゅう停電するベラルーシでは貴重ですね。

06_07_01-03-28 19-12 00003_1  画面をよく見てくださいね。そうです。冬の食糧不足を補うためにトマトやリンゴを越冬用に漬けているんです!

だから、冬はみんな働かなくてもいいです。

06_08_05-07-04 15-36 00001_1  冬。生野菜がなくなってしまうこの時期。窓際で、人々は必死で青い草を育て、少しでもビタミンを補おうとしています。

06_09_98-08-08 11-07 00001_1  キュウリだって、1年分のピクルスに変身中であります。

06_10_98-08-08 11-06 00003_1  6月ともなると、ベリーや苺を森から積んできたり、小さな菜園、自分の庭で栽培していたものがどっさり一度に収穫期を迎える。夜中中かかって、野いちごを3種類にわけさせられた。形を残す最高のジャム、ちょっとだけ形を残す、あとはくずれたもの。
 いつものんびりしている彼女たちだが、「これだけは時間との闘い」と言っていた。そうじゃないと、最高のジャムが少なくなるのだという。全部、自分たちで食べる1年分を仕込んでしまう。米袋のような物で砂糖を大量に買ってきていた。

06_11_01-07-08 16-28 00002_3  今すぐ立ち去れと、放射能カウンターがカンカンなった森。

そこでおかあさんたちは、訪問する日本の里親のために4時間かけてベリーやいちごをつんでいてくれた。

 おいしかったけど、この人達はどんな被ばくをしたんだろうと思うと胸がいたかった。

06_12_99-02-27 17-03 00002_1  ベラルーシの農村の集団農場に属すると、こんなふうに家族全員が1年間、食べていけるだけの畑と家が支給される。北海道よりも寒いところで、自給自足できるんだと、しみじみ感激した。まじめに働いている家は余った食糧を物々交換して豊かでした。

 冬は寒いからほとんどお休み。

 この畑が汚染されていなかったらどんなにいいだろうと、天地、神仏、なんにでも祈りました。

06_13_05-07-04 15-42 00001_1  立ち入り禁止の村の畑を耕している人がいます。高濃度に汚染された麦を学校の給食に格安で売っているのだと。

日本にもこんな人いましたよね。子供達の身体が心配だ。

06_14_05-07-04 15-29 00001_1  さあさあ、そんな放射能の話ばかりしてないで、せっかく日本の里親さんが来たんだから、冬の森へハイキングへいきましょう!しゅっぱ~つ!村人の運転する自家用タクシーに乗せられて!

06_15_05-07-04 15-34 00001_1  ここの森が汚染されている?あんたそんなことより、まず、いまこのすてきな森の大自然のエネルギーを感じて謳わないと損でしょ!と、彼らは強がって言う。

 もう夜ですよぉ。昼過ぎからずっとこうしていますから。こんな時間、日本人の誰も持っていないでしょう。

放射能さえなければ、ここは地球の楽園だったのだ。

 ついつい、引き込まれてしまうベラルーシの人々のペース。だけど、確実にみんな具合悪いし、大人は不安でお酒をあおってアル中になっていきます。知らないと言うことは本当につらい。

06_16_06-05-17 04-26 00002_1  せめて、赤ちゃんには放射能汚染のない食べ物を!世界中から、母親達が安全なベビーフードを送らずにはいられなかった。もちろん、日本からのもあります。

モギリョフ州の小児病院で…。

06_17_05-07-04 15-39 00001_1 廃屋
 事故のあと5年くらいまでは、あまりに汚染が高ければ、そして、子供達の発病率が高ければ人々は強制移住させられた。窓やドアは高濃度に汚染されているのに盗まれて、市場で売られたり、自宅の修繕に使われてる。

06_18_05-07-04 16-47 00001_1 強制移住者の街・マリノフカ団地  緑あふれる農村部から事故のあと都会に急に移住させられた人々。都会などお金がなければ、なんにもおもしろくないところだ。農民達にとって、途方に暮れる景色を毎日見続け、心は毎日崩壊し続けた。子供達の心はどんどんすさんでいき、中には小学生でも、ひろったタバコを吸っていた。

 チェルノブイリの消火作業に動員された人たちは、後遺症で身体がおかしくなり、働けなくなっていった。

06_19_05-07-04 16-49 00001_1 汚染地から送られた食べもの
 人々は職業を失って移住してきたので、食べ物を買うお金もなく、汚染地の田舎から食べ物をおくってもらっていた。せっかく移住したのに、汚染された物を食べているなんて。

 放射能はどこまでも追いかけてくるね。

 誰かが、出口のないトンネルと言ったろうか。

06_20_01-07-08 16-34 00001_1  くだものでくつったコンポート。もちろん、自家製ですが、食べ物が安全かどうかはもう誰もわからなくなってしまいました。毎日食べるものをいちいち計っていられないから…。

06_21_umideonigiri 日本で保養中の子供達
 保養してしばらくして胃腸が治ってくると、ごはんなども食べられるようになります。おにぎり?大好きとほほえんでくれました。この一食(いちじき)がどれほど、彼女たちの癒しになることか。私たち大人は、食べ物を守る責任があるのです。