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100ミリの呪いをとくために…13 IAEAの逃げ恥

IAEAがチェルノブイリ原発事故で

小児甲状腺がんが増え始めてるときに、それは放射能のせいではない、報告を出したのは1991年5月。

それみたことか…と、IAEAが言ってるじゃないか、大丈夫だと…というふうに非移住派が勢いづかないための

2月のチェルノブイリ法成立だったのでしょう。

いわゆる先手を仕込んであったし、IAEAの報告を聞いて、グルだったのか?と人々の怒りはさらに燃え上がります。

(ここは国際機関が言うならそうなのかもねと信じる日本人とは違いますね)

これまでの旧ソ連政府の数々の隠された虐殺とか、他民族国家のほころびや不満が、一気に噴き出しはじめました。

(汚染地図を公表したあたりから特に)

そして…1991年12月にソビエト連邦が崩壊してしまいます。

このことにより、ベラルーシやウクライナの共和国は、チェルノブイリ対策の費用を自己調達しなければいけなくなりました。これは本当に国家的危機です。しかも、経済的に崩壊してしまいました。

ベラルーシをはじめウクライナの医師や科学者たちは、子どもたちの窮状やデータを公開し世界中からの救援をよびかけました。

そして、1992年、ネイチャー誌に、小児甲状腺がんと放射能の関係の論文が乗りました。

ベラルーシの医師たちも負けてばかりではいられないのです。

このことからわかるように、これは「小児甲状腺がんで」この原因は「放射能のせいだ」と、誰かに認めてもらわなければいけない義理はあるのか?(だって彼らは見込み間違いしても責任とらないんだし)

IAEAは激増する「小児甲状腺がん」に罹患する子どもたちのことよりも、それが「放射能のせいじゃない」という結論のほうが欲しかったのだと思います。結果的には。

世界中からひんしゅくをあびても、別に誰にも謝罪するわけでも、そのせいでベラルーシの子の救援が遅れても知ったこっちゃない。それがIAEAなのです。ここに認めてもらわなければいけない…そういう雰囲気づくり。

それでも、10年前は「小児甲状腺がんは放射能のせいじゃない」、とベラルーシの中で、日本からの訪問団にスピーチしてお小遣い稼いでる人もいたみたいですが。国の恥ですね。

ちなみに、忍者のお二人、次回詳しくご紹介しますね。

笹川医療支援によって、彼らはチェルノブイリの子どもたちの真のデータを入手します。

つまり…IAEA(表)のいい加減な調査と、綿密なデータ取り(裏)はセットだというやり口ですね。

100ミリの呪いをとくために 13 逃げ恥

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