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本質を求める心を消せるのか…奨学金徳政令求む

政治…?私達に関係ありません。私は一人でやっていけます…そう思ってることそのものが政治の恩恵をすでに受けてたんですよ、って伝えたいんですね。

日本の外にこぎだせば、治安が悪くて犯罪まみれの国もあって、貧困の国もあって、人々が肩寄せあって助け合わないと生きていけない国だってたくさんある。

日本も衰退してく国だと言われています。え?そうなの?

先日、大学時代の恩師の葬送の会に参加してきました。もう30年以上前の話ですから、細かいことはあまり覚えていません。ただ、私としては、その先生をとても尊敬していた…ということだけです。恐れ多い…。当時は、バブル時代で、浮かれた世の中でした。

その中にあって、人から尊敬されるというのは「人格」ですね。一目おかれるとか。つい最近もそういう方に一人お会いしましたが、まあ、生き様としてにじみ出てくるものです。いわゆる品格…というものなのでしょう。

さまざまな思い出話をしていても、そんなことあったっけ?なんですね。

(その後の人生で、チェルノブイリ救援のほうがインパクトがあったので、平和な時代のことは忘れてしまっているのだと思います。)認知症…というのは確かに病気ですが、日々思い出したりしていないと学生時代の私…なんてもう自分の中にあったかどうか…。

さて、葬送の会で、もう退官された教授の皆様もいらしとておられ、小さな私大でしたし、短大から4年制大学をつくりあげた苦労話思い出話をされていました。ほうほうそんな話があったよな。しかし、途中から「ん?」と思ったのは、教授たちが、市営住宅や道営住宅に住んでいた思い出話をしているのです。なんのこと?大学の教師がなんで市営住宅????

今から50数年前の大学をつくっていたときの話。

ひゃああ。

私が入学したのはその20年後ぐらいですね。

そしたら、同窓生が「だって、私達の授業料やすかったでしょう?30数万円だったはず」と。
その当時、国立の授業料が十数万円で、とても安くて、うらやましかったことを思い出し。

私は、ああ、本当になんというか、学生たちのために…学生たちのために…こんなふうにしていましたと語る教授たちのスピーチを聞いていて、真っ青になりました。自分たちは市営住宅にすんで大学づくりをしていた。自分たちの給料は安くても…。

その精神が大学をつくられたあとも続いていたのか。当時は、頑としてコマーシャルはしない、という主義だった。そうですね、授業料がその分高くなりますもんね。

当時はバブル時代で、アルバイトしても、その料金はちゃんと支払われていました。

だから、アルバイトして生活費をまかない(必ずまかないご飯がでるところにして)、授業料は奨学金をためて支払う…ことで卒業できました。無利子の奨学金だったんです。当時は。月額4万円借りていた。ちまちま1万円ずつ返していつの間にか返し終わってたレベル。そういうふうな大学経営をして学生を守ってくれていたんだと。なんという恩知らずで、ああもっと先生と話をしていたら良かったのに。でも、たぶん、その頃の私の耳には入ってこなかったのかもしれません。

でも…今は学費もとても高くなっていて、大学卒業した時点で数百万円の借金と、それから利息もつくようになってしまってると。

というふうに、奨学金はすでに銀行ローンになっていたのです。

返済が滞れば、債権はうられ、取り立てが始まります。まずは、電話して返済金額を少なくしてもらうとか、とにかく、手立てを打たないと、債権を売られたら大変です。

500万円近くの利息がつくローンを子どもに背負わせる…ってそれ良いことですか悪いことですか?

私に関係ない?関係ないなら放置していいかな?

そうかな?

この問題の一番のデメリットは、優秀な才能が社会に貢献できるチャンスを奪うという、日本全体のマイナスです。

チェルノブイリの子どもたちの救援していて、当時小学生でやってきた子たちはもう30歳を超えるようになってきています。親がアルコール中毒でお金というお金、家財道具もすべてお金に変えてしまった。子どもを育てられないので、近所にいるおじいさんが面倒見に来ますが、4人兄弟のうち3人は施設にあずけられたりしていました。そして…とうとう、アルコールの飲み過ぎでお母さんが亡くなります。結局、子どもたちは施設や親戚に引き取られます。

そういう子どもたちは、日本だとどうなるか…。

ベラルーシでは、専門学校や、大学の学費は国が提供してるので、いちばん上の里子は手に職をつけて、そして次男はいわゆる知能に問題があるから施設へといわれていたけれど、結局、栄養不足だったのでしょうか、引き取られてから、今は大学へ通ってると。

つまり、親に問題があっても、負の連鎖から断ち切られることができました。

それが、政治なんです。

ご存知の通り、ベラルーシではチェルノブイリ事故で多くの子供達が海外保養にでかけたり、政府もサナトリウムでの保養や健康診断に力を入れてきていますが、次世代へ惜しみない政策を行っています。国が崩壊しても、チェルノブイリ原発事故の対策費用がバカ高くなっても、それでも国民はがんばって次世代への援助を行ってきた。

そして…30年たって子どもたちは、負債なく大学卒業の資格を取ることができました。そしてロシアも同じですが、コンピューター分野でも成長を遂げるほど人材を確保できています。

これってなんでしょう?

どんな子どもにせもチャンスが開かれてる…ということです。

つまり、社会のデザインなんですね。それを政治という分野で行ってる。

それでも私に関係ない?

そうかなぁ。

明日自分が難病になっても?明日自分が寝たきりになっても?人間の尊厳を持ったまま生きたい、生きていたい…というのが人間です。

それが、そんな生産性がないなら、安楽死どうぞなんて社会論も出てきてる。

ちょっと待ったあぁ!日本はそもそもお金があるでしょう?

何百億もの戦闘機を買うお金が…。

この奨学金の問題は、「ミナミの帝王」さまでも怒ってるぐらいです。社会問題なんですよ。

そういう問題を抱えた人がたくさんいる。それって苦しいじゃないですか?

そういう苦しみをなくすことが政治の役割だと思います。

じゃ、タイトルに掲げた本質ってなによ?

つまり、奨学金の本質ってなんですか?

この問題をどう考えたらいいか…恩師が生きていたら、こう質問すると思うんですね。

奨学金は、学費を払えない学生を助けるもの…だと私は思います。

だけど、卒業後、学生を苦しめるなら、どこか間違っています。

本来であれば、お金持ちの子どもでなくても、学びたいことがあれば誰でも大学で勉強できたら良いんです(もちろんレジャーランド:バブルのときはそう呼ばれてた大学もありました)。

チャンスを与えるためのもの。

ですよね。

なんのために?私は社会を進化させるために…だと思っています。

進化ってどういう意味?

たとえば、原始時代なら、力強い人に従っていれば身の安全は保証されるけれど、そのために多くのものが奪われていったでしょう。実際、パワーとパワーのぶつかり合いで、奴隷にされたり、国や民族を滅ぼし合うそういうことを人類は延々と続けてきています。

ご都合主義でもあり100点満点などあげられませんが、国連のような組織が、たとえ壊れていたとしても曲がりなりにもブレーキになっているともいえます。このようなストッパーができたことも、人類にとっての進化だと思います。

前の戦争が終わって、売春禁止法ができるまで、女性が借金の方に売られる…そういうことが行われていた。これって、本当に恐ろしい時代です。

いまでも闇でそういうことがあっても、法律的には許されていない。

だから進化してるんです。

けれど、奨学金に関しては、私の時代より、「退化」してるってことです。

国が学生にお金を貸与するのではなく、大学への助成金も減らして学費が高騰し、その膨らんだ債務を銀行が貸す。つまり、公共制度がなくなってきてるということじゃないでしょうか?

いつのまにか奨学金は、学生を助けるものではなく銀行を助けるものになってしまいました。

みなが無関心になってるとそういうことが起きるんですね。

たとえば、私の世代などは、「奨学金借りたら返すべきだろう」というと思います。

私の大学は格安にしてくれていましたが、他の私学は当時でも高かったと思いますが今ほどじゃない。それにアルバイトも人数もたくさんいて、今ほど過酷労働じゃなかった。そういう環境の違いに上の世代が気づいていないのでは?

この問題はとても大きな問題です。

だって、学生が正社員になれる機会は減っていて非正規雇用という不安定な状態で、数百万円の借金を背負ってたら、その分のお金は消費に回らないのですから。

今、老後にお金をためなくちゃ、ってことで消費を控えましょう!っていう。

もう100円均一でしかものを買いませんよ。

この問題に対して、政治は処方箋持ってるのかしら?

「明日を切り開く」「よりそう」「小さな声」「やさしい」とか意味不明な言葉を発してるというのは何もしないけれど、とりあえずなにか言わなくちゃ…ってことなんでしょう。

NHKの連ドラで、戦災孤児が主人公とのことですが、彼女が大学に行くという想定はないのです。しかし、戦争推進した人たちはお金持ちで子どもたちはみな大学を出て、一流企業や官庁に努めていきます。

お金持ちの子どもしか高い専門性をえられなくなるデメリットの本質はなんでしょうか?

それは優秀とは限らない…という、もののたとえは悪いですが品質の劣化ですね。

医大合格の男女差別の話題がでましたが、成績優秀の女子より、点数の低い男子が優先されていたと。「いやいや、現場では男手が必要だし」といいますが、患者から見て、優秀な医療を受けそこなってるというデメリットをまず考えてほしい。本来なら医師になれない人がなってきてた。

(給料もらわないで働いてる医師の丁稚制度もあるらしいですね)

というふうに長くなってしまいました。

ここで、この国の奨学金問題をストップさせないと、次世代への負の遺産が大きすぎます。

近頃は選挙期間中、テレビもほとんど、各党の政策をとりあげません。

子どもが虐待で殺され、学生が借金で苦しんでいても、年金が足りなくても、「それでいいのか?」という。それ政治が解決することと違いますの?政治の本質ってなんですか?

私は山本太郎に発掘されたノンポリ」 自民党議員一家で育った25歳女子が「れいわ新選組」を推す理由

なんだよ、ここまでよんできて山本太郎の宣伝かよ、苦労話のあとの青汁の番宣みたいなだな(笑)

山本太郎のれいわ新選組の政策は奨学金をチャラにしましょう、って話です。

私は、こういうことを言い出す政党が現れると、他の政党もそれを言わないと…って、焦りだす、そして、なんとかしようと考え出す。そこがいちばん重要なんじゃないかな。
つまり、奨学金で苦しんでる階層を支持層とする政党が日本になかった、ということです。

(お金持ちは選挙に行きますから彼らの有利な政策になっていく)

「それ返さんでええよ。それよりお前チャンスつかめよ」

次世代が「日本社会から愛された…」って感じることができるように。

私は、恩師たちが自分たちの給料削って大学づくりしてくれたその愛が、全然わかってなかったん。本当に恥ずかしい…。

でも、次の世代に、その愛情を受け渡すことが、愛情かけられたものの責任なんじゃないかな?って思う。

自分でアルバイトして大学の授業受けて学費は奨学金で…確かになんとかできましたが、どうしてもできなくて諦めたことが一つあります。

それは教職員の実習です。3ヶ月もアルバイトを休むことができなかったから。

つまり教員になれる資格だけは取れませんでした。

私の人生、自分のやりたいこと優先で、後悔はないけれど、それだけは、自分の努力の限界でした。

もしも、政府の支援があったら、私は今頃、先生だったかな?(いやいや学校社会に適応は無理)

でも、いま、無性に小学生や中学生たちのお役に立ちたいな。

自分の努力だけで開けない道もある。

原発事故後、多くの人達が「保養」をボランテイアでしていましたが、それも政策に移行させないといけません。しかし、ボランテイアのときはいいのですが、そこにお役所が関わるとなぜか、軍隊のようになってしまう。そこが日本の悪癖です。もちろん、保養まではまだま遠い道のりです。

政治の本質は、弱者救済、じゃないですか?

いつか自分がそうなったときのためのセーフティーガードです。

いつまでもローマ帝国のガレー船の手漕ぎ係の奴隷みたいな生活やめようや。

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