1:保養は心身のリハビリのために

 

◎保養の始まりとチェルノブイリ・エイズ

 

保養運動はチェルノブイリ原発事故から5年後、1991年、東西ドイツが統一したあと、東ドイツと呼ばれていた地域で始まりました。

初めは、「ベラルーシの汚染地域の子どもたちが心が元気になればいい」、「汚染のない普通の生活をプレゼントしよう」と、精神的なサポートをめざして始まりました。

ところが1ヶ月の保養が終わったあと、子どもたちが心身ともに見違えるほど元気になった…。

保養に出る前の子どもたちは、汚染されたものを食べ、飲み、体内に放射能を蓄積する【内部被ばく】、汚染された大地で生活している【外部被ばく】により、次第に抵抗力が落ちて「チェルノブイリ・エイズ」とよばれていました。

いつ、重篤な病を発症してもおかしくない。まるでエイズのようだと。

チェルノブイリエイズ(医学的説明)

医学的には不定愁訴呼ばれるように、どこがひどく悪いというより、全身のあちこちが不調なのです。

風をひきやすい、頭痛、腹痛、めまい、鼻血…、関節痛などなど。

症状や体調にとらえどころがないのですが、多くの子ども達が貧血や、甲状腺障害を患っていました。

なんだ、そんなことかと思われますが、想像してみてください。10才の子どもたちが老人のような症状を抱えているのです。あっちが痛い、こっちが痛い、風邪をひいてもすぐに肺炎になり、退院したと思ったらすぐにまた肺炎で入院する。

小さな子どもたちは夜通し泣き止むことがない。どこが悪いのか話すこともできません。

それらの症状が、1ヶ月間、放射能からまったく離れた生活を送ることで、帰国後半年から1年間は改善される…ということがわかってきたのです。

◎保養中に必要な食事からの微量栄養

ベラルーシの科学アカデミーの放射線生物学研究所の所長は「なるべく新鮮なビタミンやミネラル、果物や野菜を食べさせてほしい。」と言われました。

ドイツなどバスで移動できる国は陸路で、あるいはイタリアや、日本などへは飛行機で、子どもたちは海外での夏休みを1ヶ月海外で保養する生活が始まりました。

ベラルーシ政府は、汚染地域の子どもたちを年に二回サナトリウムで保養させます。

つまり、子どもたちは、運が良ければ年に3回、汚染地を抜け出し保養に出ることができたのです。

子どもたちは保養の初期は、胃腸が悪いのであまり、多くは食べられません。汚染されたものを食べるので、胃腸の粘膜の萎縮がしてしまい、消化吸収能力が低下してるのがわかりました。

それで、最初は生野菜や、バナナなど酵素があり消化がよく栄養のあるものを子どもたち自身が好んで食べていました。

そして、1週間や10日経過すると、体調も良くなり、普通に食べられるようになってきます。

栄養が吸収できるようになると、元気よく走り回れるようになります。

髪の毛が伸びない、身長が止まっていた子が伸びはじめる…など、目に見える効果もあらわれてきました。

なぜ、こんなに1ヶ月の保養で元気になるのか、最初はよくわかりませんでした。

心と身体が元気になるために、試行錯誤の毎日でした。

保養が続くと、ドイツやベラルーシで研究が進み、子どもたちの体内に蓄積されたセシウムが排出されること、そして、傷ついた遺伝子を修復するスピードが汚染地にいると遅くなるが、そのスピードが回復してくると言われました。

そのときに、ビタミンやミネラル、アミノ酸などの栄養が足りないと、修復に異常が起こる、とのことでしたので、食べ物の質には、とても注意を払いました。

汚染のないところでしっかり保養し、そして、ファイトケミカルのような微量栄養素があることが重要です。こビタミン剤や栄養剤ではなく、食べ物を喜びの形で摂取することが大切です。

添加物や揚げ菓子、市販されてる糖分が添加されてるドリンクなどは、提供しないように注意しました。

◎保養の対象年齢

私達が受け入れていた子どもたちは小学生です。

特に小学生高学年は、成長期前に放射能を身体から出しておこう!という思いが強かったのです。

細胞分裂が盛んになるときに、異常が出やすいからです。

小学生は、ホームステイができること、飛行機の場合は交通費が安いという理由もありました。

しかし、ベラルーシ政府は小さな子どもたちの保養も母親と一緒だったり幼稚園の先生と一緒に行っていました。

◎保養の期間

海外保養の場合はそれぞれの国によりますが、目安として1ヶ月が多いようです。

現在のベラルーシ政府では、子どもたちのサナトリウムの保養は21~24日を目安にしています。

それは、子どもたちにとって、残念なことだったかもしれませんが…。

30日の保養が終わり、ベラルーシに到着した子どもたちを迎えにでた母親たちが、あまりに元気になって変わったので、自分の子どもがわからなくて探した!という笑い話がたまに聞こえてきて、それは私達の喜びでした。

子どもたちが元気になって帰ること、それがチェルノブイリのお母さんたちへの「希望」のプレゼントだったのです。

最初は、一部の子どもたちしか保養に出られないのでは、残された子どもが可哀想だ、という意見もありました。

ところが、海外保養運動が大きく広がり、特にドイツは「戦後補償として」位置づけて、積極的に受け入れて、数万人の子どもたちが保養していたときもあります。

あっというまに夏休みに、汚染地域で子どもたちを探すことが難しくなってしまったほどでした。

現在でもまだ、ベラルーシの子どもたちはサナトリウムにも、海外保養にもでかけています。

身体の健康の回復にフォーカスされることが多いですが、振り返ってみると、「精神的なストレス」を子どもたちも相当受けていますね。

汚染地域での生活というのは制約も多く、大人たちも悩みが多いので、家庭も暗くなりがちです。

そのような意味で、汚染のない生活、当たり前の家庭生活を体験することは子どもたちにとって、貴重な体験だったように思います。

私たちは、チェルノブイリの子どもたちの笑顔が、母親たちにとっての「希望」であると思っていました。

 

 

★保養には、普通の保養と、医療的なサポートがあるものにわかれます。

医療的なサポートができる国(ドイツやイタリア)があり、日本では病気を発症する前の子どもたちの予防のために参加していました。

★参考 チェルノブイリエイズ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%BA

ヤブロコフらによる研究[編集]

ロシアの科学者アレクセイ・ヤブロコフ(Alexey V. Yablokov)、ワシリー・ネステレンコ(Vassily B. Nesterenko)、アレクセイ・ネステレンコ(Alexey V. Nesterenko)は、2007年en:Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment(『チェルノブイリ:大惨事が人々と環境に与えた影響』)を出版した。同書は、チェルノブイリ・エイズの発生機序について、セシウム137による内部被曝で胸腺が破壊され、ヘルパーT細胞を含むリンパ球T細胞系が作れなくなり、B細胞抗体グロブリンを作るように命令してくれるはずのT細胞が存在しないので、血中の免疫グロブリンの数が激減してしまう、等と述べている。

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/genpatsu/sugenoya/

菅谷昭氏講演記録

 

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