トンネルの出口‥は?

原発事故の長いトンネルに入った‥と自分では感じています。
あまりにつらくて、ブログは書けませんでした。
ブログをよんでくださってる方々を一緒に落ち込ませて良いものかどうか。
今年の夏は、北海道の佐呂間で保養ができ、同時に私たちは、ささやかな畑を耕しました。
つくって応援‥。
ホームセンターで売られてる堆肥が信頼できない。
農家さんの意識レベルが低く、堆肥の汚染や、モンサント社の枯葉剤につながるものを
大量散布してるのを自分の目でみて、食に対する全体的な恐怖感から、保養ではできるだけ自分たちでつくったものを提供したいと考えるようになりました。
畑作業は多くの学びを得ました。
わずかな収穫で、のべ10箱ほど福島県の方に送付することしかできませんでした。
加工して、関東のお母さんたちの料理に使ってもらえるようになるまでは
道は遠いけれど、
何か自分たちにできることってそんなことしかありません。
おいおい、書いていきたいと思います。
今は、ベラルーシに来ていて、気持ちが落ち着いて、ブログを書けそうだ‥と思いました。
日本で原発事故が起こって、チェルノブイリの子どもたちの保養は休止しました。
もうベラルーシへ来ることもないだろうと思ったのに‥。
劇団曼珠沙華のベラルーシでのチャリティー公演が続いています。
ベラルーシ政府の要請‥。
実際、これには私もとまどいます。
もちろん劇団の公演は、汚染地域中心で回ってきて、最後に首都ミンスクで行われるときは
テレビでも報道されたり新聞に乗ったり。
多くのベラルーシの方が、慰問の趣旨に賛同し、心が満たされた‥と。
これから、被ばくの被害が、目に見えるようにあるいは目に見えないように
私達の生活の周りに影響を及ぼしてきます。
5年が経過して、汚染地域ではない地域でも体調を崩してる人たちが増えていませんか?
何か身体がだるい、言うことを聞かない、あるいは、聞いたことのない病気になった
風邪が治らない‥。
こういう形でジワジワと出口の見えないトンネルにベラルーシも入っていました。
国全体としては汚染されてない地域ではだんだん事故のことそのものを忘れて被害者を置き去りにしていくでしょう。
そのことで、人の無情に泣くことも
経済も国民一人ひとりを大切にしない経済は崩壊していきます(国民から見て)
TPPが来て、大企業がすべてを奪うでしょう。
農地からはじまるのかもしれません。
チェルノブイリの出口の見えないトンネルより
日本のトンネルのほうが、上り坂でガスも噴出するような厳しさが予想されます。
日本のほうが、家庭にも、職場にも学校にも愛がないから。
さて、そのような昼間なのに出口のないトンネルにいる人を励ましてこう‥と
劇団「曼珠沙華」の公演がはじまったのは1999年。
今はベラルーシ政府の招待ですが、いちばん最初の招待は
チェルノブイリの子どもたちからの招待でした。
1998年、北海道保養のキャンプ場である栗山町にその劇団はやってきてくれました。
最初は、「無料で茨城県から?無料で子どもたちに?」ということで、
キャンプ場で合流する予定だった栗山町の職員の人達は
「新手の詐欺じゃないの?」
と心配してくれました。あとから請求書が来るのでは?
私もずいぶんおかしな話だし、ベラルーシの子どもたちは、正直なので、
面白くなければ、面白くない!と表明してしまい、最後まで見ないだろう。
傷つけることになると、なんども断ろうとしました。
しかし、「あきて、みんなが席をたってもかまわない、たった一人でも癒される子どもがいるのなら
行きます」
って。そこまで?
そのとき、ちょうど私達の保養運動も、バッシングにさらされている時期でした。
「汚染地域から全員の子どもを連れてこれないなら差別なのだから、やめたほうがいい。そのお金でたくさんの薬を送れる」というチェルノブイリ救援グループなどからのバッシング。
(先日、事務所の引っ越しをしていたら、当時の岩波ブックレットが出てきました。まったく不可思議なデータをだして、保養は体内被曝を減らさない‥と結論づけていました。「チェルノブイリの子どもたち」。この本のおかげで、私たちは差別者で、金の無駄遣いの救援をしてる保養運動のやつらという位置づけ)
たった一人でもいい‥
という言葉にひかれて、おかしいなと思いながらも、そのような言葉がどこから出てくるんだろう、あってみたいという気持ちも沸き起こってきました。
たった一人を満足させるために、どれほどの努力をこの人達はしてきたんだろう‥という舞台。
確かに、なかには荒削りな演目があるけれど、手作りの衣装と踊りは、多くの子どもたちを魅了して
子どもが「自分たちは保養で元気になったし、こんなにすてきな演劇をみれてよかった。
自分たちの親はいつも泣いてばかりだからベラルーシに来てほしい、親に見せたい」
と子どもたちからのリクエストだったのです。
大人は子どもを守る‥といいながら、実際、子どもに随分守られてることを知らないのです。
当時のベラルーシは水も食べ物も満足に売られていないし、ガソリンだって入手するのに大変なときで、
誰もが、ベラルーシ公演なんてできるわけがないと思っていました。
劇場にトイレがなく(どうしてたんだ?他のアーティストは)簡易の介護用のトイレを持ってまで。
それから、今回で7回めになります。
最初はベラルーシのチェルノブイリの子の招きで
今はベラルーシの政府と企業が協力して招いてくれます。(もちろん、日本側も募金などで資金を集めていますが)
この流れをどう理解して良いのか、まだ自分でも消化しきれていないのが実際のところ。
しかし、出口の見えないトンネルに、ランタンをもって入っていった‥と私は思います。
原発事故は落盤事故のようなもんですから。
ベラルーシ政府はチェルノブイリ法という厳しい法律をつくって
その岩を一つずつどける作業をしてきました。
少しずつ出口が見えてきたのかもしれません。
考えてみるとわたしゃ、2つのトンネルと行ったり来たりしてるんでしょうか?
いろんな体調異変の相談を受けますが、
原因が放射能なら、抵抗力が落ちる‥そこから始まる異変です。
身体をあたためて、体調が悪ければ夜の9時には大人は寝ないといけないでしょう。
子どもは8時には寝かせる。
だから夕ご飯は5時までに‥。
そんなことできないと、多くの人が言うでしょう?
でもお腹に何かはいったまま寝ても細胞をリフレッシュするエネルギーが
消化に使用されてしまう。
だから、もう聞いてほしくない、と思うことが多いです。
自分に都合の良い回答がないか
自分が楽にできることはないか?
そのインスタント思考が、とりあえず原発病を止められなかった。
電気が足りないなら多少危険でも原発いんじゃない?
節約するの面倒‥。
原発止めたい、放射能から逃れないたなら
自分たちの生活を変えないといけない。
事故の前のまま、放射能から逃れるインスタントな方法があると私は思えないです。
みんないろんなものを試したり、あれがよかったこれが良かったと
これから
蓄積していくでしょう。
今はベラルーシからデータやら何やらカンニングしてる状態。
今日から、ツアーが始まります。
昨夜は、宿舎である老人用のサナトリウムに宿泊しました。
果物、野菜、タンパク質、炭水化物、そして刻み昆布。
刻み昆布は、ベラルーシにきて初めてみたなぁ。
甲状腺がみんな悪くなるから、つとめてヨウ素をとってます。
自分を生きる‥ことの意味は旅などにでなくても、
毎日の食と向き合うだけで、見えてくると思います。
効率よく人を助けることなどできないのです。
自分一人に早めの夕飯を食べさせて自分を救うこと‥。
たったひとりをトンネルの出口に連れ出すことは
万人を連れ出すことと同じくらい難しいことなのです。
だから、まず、あなたがあなたを幸せにしてほしい‥。
心から願います。

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